宮本輝著「慈雨の音」の風景(その2)

ヨネの散骨

熊吾親子は浦辺ヨネの遺言により余部鉄橋の上から散骨をするために城崎に向かいました。熊吾夫妻と伸仁の三人は温泉宿で、久しぶりに家族水入らずの時間を過ごします。今回は余部鉄橋の絶景や情緒のある城崎温泉の景色なども引用しながら、ストーリーを追っていきましょう。

少年漫画が創刊

城崎についた熊吾たちはヨネの遺骨のある麻衣子の家に向かう途中、みやげもの屋や本屋に立ち寄ります。本屋で伸仁は「ことし日本で初めて創刊されたという週刊の漫画誌の表紙に見入っていた」とあります。下に引用させていただいたように昭和34年は少年サンデーと少年マガジンという今でも人気の週刊漫画が創刊された年です。

伸仁が買ってもらったのはどちらの漫画雑誌かは不明ですが、ここでは朝汐太郎さんまたは長島茂雄さんがプリントされた表紙を興味深そうに見比べている伸仁の姿をイメージしてみます。

城崎のホテルで

麻衣子が予約してくれた旅館に入った熊吾は早速「仲居にビールを運んでくれるように」頼みます。旅館の部屋に入ると「大きな窓のところに置かれた籐製の椅子に座って」「川と柳並木がよう見えるわ」という房江がいう場面があります。

下に引用させていただいたのは城崎温泉のある旅館からの柳並木の風景です。ここでは「初めての親子三人での温泉旅行を楽しんでいる」熊吾たちの姿をイメージしてみましょう。

余部鉄橋から

城崎駅から(昭和34年に)できたばかりの余部駅に降り立った熊吾家族と麻衣子は散骨をするために鉄道橋の中央付近まで歩いていきます。地元の老人によると「(駅がなかった頃は)余部集落の者たちは・・・枕木を踏んで鉄橋を渡り、トンネルの中を歩いて鎧駅まで行かねばならなかった」とのこと。中央まで歩いていくとなると「たいていの人は脚がすくむであろう」と笑います。

下に引用させていただいたのは昭和時代の鉄橋の写真です。ここでは、「膝が笑うちょる。尻の穴がきゅーんとなっちょる」と怖がりながら歩く高所恐怖症の熊吾の姿を想像してみましょう。

観音寺のケンとの再会

カメイ機工の社長と京都の銀閣寺周辺を散策に行った熊吾は、京都駅の改札付近で「昔、近所に住んじょったならず者で・・・伸仁をえらい可愛がってくれ」た観音寺のケンと偶然再会します。富山時代(第4部・天の夜曲)に熊吾が面倒をみたケンの妻などについての短時間の会話でしたが、このとき熊吾はケンにある重要な情報を渡します。

下に引用させていただいたのは昭和30年代の京都駅構内の様子です。ここでは画面の左の方に、熊吾とケンの姿を置いてみます。

ジンベエの目が開いた

番犬として飼っていたムクは六匹の子犬を生みます。五匹はもらわれていきましたが「ジンベエ」と名付けた子犬のみ「両目の瞼があかない」ため貰い手がいません。硼酸(ほうさん)を水で20倍に薄めた液体で瞼を拭くことによりなんとか開かせようとする伸仁でしたが・・・

以下に引用させていただいたのはかわいい柴犬の子犬の写真です。目が開いてこのような姿になったかどうかは実際に小説内でお確かめください。

辛抱強く子犬の面倒をみる伸仁のところに次回はまた違う動物がやってきます。蘭月ビル時代に一緒に夕刊売りをした月村君との別れのシーンも含めて「慈雨の音」の風景を追っていく予定です。

旅行の情報

城崎温泉・山本屋

城崎温泉で宿の窓から柳並木を眺めるシーンで引用させていただいた旅館です。窓からの景色も抜群ですが「一の湯」や「柳湯」が50m以内の立地のため気軽に外湯巡りが楽しめるでしょう。もちろん旅館内にも温泉があるので部屋内でゆったりと過ごしてもOK。日本食のフルコースや山本屋直営工場で作る城崎ビール(4種類)も堪能できます。

住所:兵庫県豊岡市城崎町湯島643
アクセス:JR城崎駅から徒歩約7分
公式サイト:https://www.kinosaki.com/

余部鉄橋・空の駅

ヨネの散骨の場面で登場した余部鉄橋は平成22年にコンクリート橋に架け替えられましたが、橋脚の一部は保存され「空の駅」という観光施設になっています。線路や枕木などが残る余部鉄橋跡には、下に引用させていただいたような高さ40mから海を眺められるスポットもあり、熊吾と同じようなスリルが感じられるかもしれません。

隣接する道の駅・あまるべでは余部鉄橋の解説ビデオを放映し、鉄橋部品を使ったペーパーウェイトなどの鉄道グッズも販売されています。

住所:兵庫県美方郡香美町香住区香住870-1
アクセス:JR餘部駅から徒歩すぐ
公式サイト:https://www.town.mikata-kami.lg.jp/www/contents/1617585228929/index.html