宮本輝著「長流の畔」の風景(その1)

「関西中古車業連合会」で再起

「長流の畔」の舞台は昭和38年の6月、熊吾は66歳になりました。資金繰りが苦しく中古車会社の縮小を考える熊吾に、ある妙案が浮かびます。

昭和38年6月12日の新聞から

「長流の畔」は冒頭で熊吾が新聞を読んでいる場面から始まります。記事のタイトルは「サイゴン市で僧侶が焼身自殺」というショッキングなものでした。「南ベトナムのゴ・ディン・ジエム政権による宗教弾圧に抗議して、ひとりの仏僧がガソリンをかぶりみずから火をつけた」とのこと。

下に引用させていただいたのは焼身自殺をしたチック・クアン・ドック僧侶が現地に向かうときに使用した車(ティエンムー寺院にて展示)の写真です。背後には炎の中で座る僧侶の写真も展示されています。熊吾は新聞に掲載された師の写真をみながら、自分が部隊長だった戦時中の出来事を思い出していました。

再び「関西中古車業連合会」を立ち上げ

熊吾は中古車販売店「ハゴロモ」を立て直すために家賃の高い弁天町店を閉めようと考えます。閉める替わりに中古車を移動する場所が必要となるため「福島区、大淀区、此花区で開いている土地はないかと探し廻ってみたが、どれも狭すぎるか広すぎるか」でした。

そこで思いついたのが、その広すぎる土地を中古車販売店や部品店のグループで借りることでした。以前(「天の夜曲」の風景参照)、部下の使い込みによって果たせなかった「関西中古車業連合会」として結束すればエアー・ブローカーにも対応しやくなり、まとめ役の熊吾には手数料が入ってくるというメリットもあります。

下に引用させていただいたのは福井県立歴史博物館にある昭和の自動車の展示です。パブリカ(中央)やブルーバード(右)といった「長流の畔」にも登場する車がありますね。ここでは、発想から約1か月で大阪中古車センター(関西中古車業連合会の共同販売スポット)をオープンさせてしまった熊吾の精力的な姿をイメージしてみましょう。

焼いた餃子?

話は前後しますが、熊吾は大阪中古車センターの案が有望かどうかを確認するために河内モーター社長の河内佳男(懇意だった河内善助の甥)を訪問します。「熊吾の持ちかけた話にすぐ乗った」河内佳男に対し、「ヨシさんらが本気で動き出したら、あと十五社くらいが便乗してくるじゃろう。その時に関西中古車連合会の法人登録をして旗揚げじゃ」と決意を新たにする熊吾の姿がありました。

話し込んでいるうちに昼になったため、河内は中華料理屋に餃子とチャーハンの出前を頼みます。下に引用させていただいたのは焼き餃子発祥店の一つ・餃子舗珉珉の焼き餃子の写真です。ここでは「焼いたギョウザなんて、わしは上海におったころ一回も見たことはないがのお」といいながら食べる熊吾の姿をイメージしてみます。

敷地の整備

大阪中古車センターの広大な敷地には「十数匹の野良犬が棲み……なかには子馬ほどの大きさのもの」もいます。また、借地代は激安だが「街灯はひとつもない。鼻をつままれてもわからんほどの真っ暗闇じゃ」とあります。下に引用させていただいたのは昭和時代の野良犬の写真です。十数匹とまではいいませんが昔は空き地や公園で野良犬を見ることは珍しくありませんでした。

野良犬を追い払い、中古車の盗難などを予防するため(有力者である丹下甲治を介して)佐竹善国なる男を雇うことになります。

佐竹善国

大阪中古車センターの管理人になった佐竹は「戦地で右腕をなくした」42歳の男でした。「女房と娘と息子とが」いますが「ぼくは家事専門です。こんな体やから、どこも雇ってくれません。丹下さんが松坂さんのことをわざわざ伝えに来てくれたときは信じられませんでした」といいます。

下に引用させていただいたのは大阪中古車センターの最寄り駅(千鳥橋駅)の商店街の写真です。今でも懐かしい昭和の雰囲気が残っていますね。ここでは佐竹に初めて会った日に、娘(理沙子)と息子(清太)に「苺味の赤いシロップと練乳をかけた」かき氷をふるまう熊吾の姿を置いてみましょう。

誕生日祝いは油絵道具?

高校2年生になった伸仁の趣味は絵画でした。その絵を見た佐古田という社員は房江に対し「ただの土の道に石ころが転がってて、雑草がしょぼしょぼっと生えてるだけだがな。絵描きになるのはあきらめさせたほうがええで」と言います。

それに対し「岸田劉生っていう画家の絵を模写したそうですねん……三ヵ月かかって完成させたのが、あれ。『道路と土手と塀』っていう題の絵らしんです」と解説する房江。一緒にいた田岡という社員も「塀?ああ、あの左側のいびつな三角定規みたいなんが塀ですか。塀には見えへんなァ」といいます。

下に引用させていただいたのはその「道路と土手と塀」の写真です。大正時代の東京・代々木の日常風景とのことですが、土の盛り上がりや周辺の雑草などに生命力が感じられます。ここでは一つ一つのパーツを丁寧に模写する伸仁の姿をイメージしてみます。

大阪中古車センターが立ち上がり、借金も順調に返済していく熊吾。「長流の畔」では佐竹や丹下といった新しい人たちとの交流も増えていきます。ベトナム戦争が激しくなり、オリンピックを次の年に控えた時代背景も含めてSNSの力を借りて追っていきます。

旅行の情報

餃子舗珉珉(南千日前本店)

河内モーターの社長がギョウザの出前をとる場面で登場してもらった餃子店です。日本ではメジャーな「焼き餃子」ですが世界的には現在でも「蒸し餃子」や「水餃子」が一般的。その「焼き餃子」を急速に広めるのに重要な役割を果たしたのが昭和28年創業の餃子舗・珉珉です。

当時高価だったニラの代わりにニンニクを入れているのも店主の発想で、「長流の畔」でも「ニラは高いんです。そやから、こないだからニラを使うのをやめて、ニンニクにしはったんです」と河内社長にいわせる場面があります。下に引用させていただいたようなチャーハン+餃子は最高の組み合わせですね。



住所:大阪府大阪市中央区千日前2-11-25
アクセス:南海・難波駅から徒歩約5分
関連サイト:https://www.minminhonten.com/

千鳥橋駅前の商店街

熊吾が佐竹の子供たちにかき氷をふるまうシーンで登場した商店街です。当時の千鳥橋駅には尼崎との間をむすぶ「伝法線」なる路面電車が走り、千鳥橋駅は終点でもあったため賑わいを見せていました。

現在でも駅前には「四貫島森巣橋筋商店街」や「千鳥橋筋商店街」、「四貫島商店街本通り」があり昭和の雰囲気を残す建物も数多く残っています。下には千鳥橋筋商店街にある熊吾さんが入りそうな居酒屋の写真を引用させていただきました。

なお、同じ此花区にはユニバーサル・スタジオ・ジャパンや2025年の日本国際博覧会会場が予定されている「夢洲」もあり、新旧の魅力的なスポットがあるのも面白いところです。



住所:大阪市此花区四貫島1-4-1(四貫島森巣橋筋商店街)
アクセス:阪神なんば線・千鳥橋駅からすぐ
関連サイト:http://www.konohanavi.net/about/