宮沢賢治「風の又三郎」の風景(その3最終回)
さいかち淵での交流
三郎は村の子たちと毎日のように遊びに出かけます。ある日は葡萄を採取に行って耕助と論争を繰り広げ、またある日はダイナマイト漁により流れてきた魚をとるのに夢中になりました。川での鬼ごっこでは機転を働かせて子供たちを一網打尽にしますが、天候が急変しどこからか不思議な声が聞こえてきます。
ぶどうとり
「次の日は朝のうちは雨でしたが、二時間目からだんだん明るくなって三時間目の終わりの十分休みにはとうとうすっかりやみ、あちこちに削ったような青ぞらもできて、その下をまっ白なうろこ雲がどんどん東へ走り、山の萱からも栗の木からも残りの雲が湯げのように立ちました。」
「『下がったら葡萄蔓(えびづるとり)に行がないが。』耕助が嘉助にそっと言いました。
『行ぐ行ぐ。三郎も行がないが。』嘉助がさそいました。耕助は、
『わあい、あそご三郎さ教えるやないぢゃ。』と言いましたが三郎は知らないで、
『行くよ。ぼくは北海道でもとったぞ。ぼくのおかあさんは樽(たる)へ二っつ漬つけたよ。』と言いました。」
耕助のいう「葡萄(えび)」とは下に引用したような山葡萄(やまぶどう)のことです。
出典:写真AC、やまぶどう
https://www.photo-ac.com/main/detail/1980260&title=%E3%82%84%E3%81%BE%E3%81%B6%E3%81%A9%E3%81%86
「みんなは学校の済むのが待ち遠しかったのでした。五時間目が終わると、一郎と嘉助と佐太郎と耕助と悦治と三郎と六人で学校から上流のほうへ登って行きました。少し行くと一けんの藁(わら)やねの家があって、その前に小さなたばこ畑がありました。」
出典:katorisi, CC BY-SA 3.0 http://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0/, via Wikimedia Commons、abaco-field,katori-city,japan
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Tabaco-field,katori-city,japan.JPG
上にはたばこ畑の写真を引用しました。
三郎は畑に近づき「葉を一枚むしって一郎に見せました。」
三郎「なんだい、この葉は。」
一郎「わあ、又三郎、たばごの葉とるづど専売局にうんとしかられるぞ。わあ、又三郎何してとった。」
「一郎は顔色を変えてこう言います。」
続いて、ほかの子供たちもたたみかけるようにはやしました。
「わあい。専売局であ、この葉一枚ずつ数えで帳面さつけでるだ。おら知らないぞ。」
三郎「おら知らないでとったんだい。」
彼は顔を真っ赤にしながら弁明します。
「風の又三郎」の舞台の一つとされる大迫町(おおはさままち)は以下に引用させていただいたように高級煙草の産地で、子供たちがいうように煙草の葉は厳重に管理されていたとのことです。
大迫葉煙草専売所かつて、葉たばこの耕作地として栄えた大迫町外川目地区。栽培されていたのは南部葉という品種でした。このたばこの葉型はとても大きく、乾燥後も深い緑色を保ち、独自の特徴を持っていました。薫り高く、品質が優れていた南部葉は、世界的なブランドでした。
出典:賢治さんの一生と銀河の森公式サイト、第二展示室・銀河の森と作品
南部葉の品質は明治29年(1896年)に設置された大迫葉煙草専売所によって厳重に管理されていました。『風の又三郎』には、たばこの葉を折った又三郎を「わあい。専売局であ、この葉一枚ずつ数えで帳面さつけでるだ。おら知らないぞ。」とはやす場面が出てきます。
https://www.tohoku21.net/ginganomori/life.php
現地につくと三郎にあてつけるようにこう言います。
耕助「こごおれ見っつけだのだがらみんなあんまりとるやないぞ。」
三郎「おいら栗のほうをとるんだい。」
耕助が夢中で葡萄(ぶどう)をとっていると、頭からつめたいしずくが降ってきます。
耕助「わあい又三郎、まだひとさ水掛げだな。」
三郎「風が吹いたんだい。」
耕助「わあい又三郎、うなそごで木ゆすったけあなあ。」
下に引用した写真からこの場面を想像してみます。まず下の草藪には葡萄をとる耕助の姿を置いてみましょう。そして木の上にいる三郎が枝を揺すると、雫がパラパラと雨のように降ってきます。
出典:写真AC、草が生い茂る森
https://www.photo-ac.com/main/detail/22041766&title=%E8%8D%89%E3%81%8C%E7%94%9F%E3%81%84%E8%8C%82%E3%82%8B%E6%A3%AE
怒りがおさまらない耕助はさらに三郎をののしります。
耕助「うあい、うあいだ、又三郎、うなみだいな風など世界じゅうになくてもいいなあ、うわあい。」
それに対して「三郎は先生みたいな顔つきをして指を一本だしました」
三郎「風が世界じゅうになくってもいいってどういうんだい。いいと箇条をたてていってごらん。そら。」
耕助「汝など悪戯(わるさ)ばりさな、傘(かさ)ぶっこわしたり。」
三郎「それからそれから。」
耕助「それがら木折ったり転覆したりさな。・・・・・・家もぶっこわさな。・・・・・・それがら、ラ、ラ、電信ばしらも倒さな。・・・・・・風車もぶっこわさな。」
三郎「そらごらん、とうとう風車などを言っちゃったろう。風車なら風を悪く思っちゃいないんだよ。もちろん時々こわすこともあるけれども回してやる時のほうがずっと多いんだ。・・・・・・それに第一お前のさっきからの数えようはあんまりおかしいや。ララ、ララ、ばかり言ったんだろう。おしまいにとうとう風車なんか数えちゃった。ああおかしい。」
「耕助もさっきからあんまり困ったためにおこっていたのもだんだん忘れて来ました。そしてつい三郎といっしょに笑い出してしまったのです。」
発破漁
「次の朝は霧がじめじめ降って学校のうしろの山もぼんやりしか見えませんでした。ところがきょうも二時間目ころからだんだん晴れてまもなく空はまっ青になり、日はかんかん照って、お午(ひる)になって一、二年が下がってしまうとまるで夏のように暑くなってしまいました。・・・・・・授業が済むとみんなはすぐ川下のほうへそろって出かけました。」
又三郎は嘉助に誘われて川に泳ぎにいきます。
下にはその川のモデルとされる「さいかち淵(豊沢川の両岸にあった淵)」付近にある「道地橋」からのストリートビューを引用しました。賢治のころにあった「さいかち淵」は堤防が築かれたために姿を消しましたが、豊沢川は近年でも透明度が高く、子供たちが川遊びをする風景をイメージできます。
皆がこちらの川で石とり(川に投げ込んだ石を川底にもぐって拾うゲーム)をしていると
「そのとき向こうの河原のねむの木のところを大人が四人、肌ぬぎになったり、網をもったりしてこっちへ来るのでした。」
一郎「おお、発破(はっぱ)だぞ。知らないふりしてろ。石とりやめで早ぐみんな下流ささがれ。」
「すると向こうの淵の岸では、下流の坑夫をしていた庄助が、しばらくあちこち見まわしてから、いきなりあぐらをかいて砂利の上へすわってしまいました。それからゆっくり腰からたばこ入れをとって、きせるをくわえてぱくぱく煙をふきだしました。奇体だと思っていましたら、また腹かけから何か出しました。」
「発破(はっぱ)だぞ、発破だぞ。」
子供たちは興奮して騒ぎはじめます。
「一郎は手をふってそれをとめました。庄助は、きせるの火をしずかにそれへうつしました。うしろにいた一人はすぐ水にはいって網をかまえました。庄助はまるで落ちついて、立って一あし水にはいるとすぐその持ったものを、さいかちの木の下のところへ投げこみました。するとまもなく、ぼおというようなひどい音がして水はむくっと盛りあがり、それからしばらくそこらあたりがきいんと鳴りました。向こうの大人たちはみんな水へはいりました。」
一郎「さあ、流れて来るぞ。みんなとれ。」
出典:opencage, CC BY-SA 3.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Cottus_nozawae.jpg
「まもなく耕助は小指ぐらいの茶いろなかじかが横向きになって流れて来たのをつかみましたし、そのうしろでは嘉助が、まるで瓜をすするときのような声を出しました。それは六寸ぐらいある鮒(ふな)をとって、顔をまっ赤かにしてよろこんでいたのです。それからみんなとって、わあわあよろこびました。・・・・・・」
上に引用したのは耕助がとったのよりも少し大きな「かじか」の写真です。
鼻のとがった男
「みんなはとった魚を石で囲んで、小さな生け州をこしらえて、生きかえってももう逃げて行かないようにして、また上流のさいかちの木へのぼりはじめました。」
そこに見たことのない男がやってきます。
「見ると一人の変に鼻のとがった、洋服を着てわらじをはいた人が、手にはステッキみたいなものをもって、みんなの魚をぐちゃぐちゃかきまわしているのでした。」
佐太郎「あ、あいづ専売局だぞ。専売局だぞ。」
嘉助「又三郎、うなのとった煙草の葉めっけたんだで、うな、連れでぐさ来たぞ。」
三郎「なんだい。こわくないや。」
下には専売局発行「煙草展覧会図録」から「朝日」という銘柄のタバコの製造実演の写真を引用しました。当時の専売局局員の制服は左側の男性のようだったでしょうか。なお、「朝日」は夏目漱石が好んだ銘柄で「吾輩は猫である(・・・の風景その6・参照)」にも登場しています。
出典:専売局 編『煙草展覧会図録』昭和8年10月,専売局,昭和8. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/12648969 (参照 2025-03-26、一部抜粋)、朝日製造実演
https://dl.ndl.go.jp/pid/12648969/1/9
一郎「みんな又三郎のごと囲んでろ、囲んでろ。」
「そこでみんなは三郎をさいかちの木のいちばん中の枝に置いて、まわりの枝にすっかり腰かけました。」
「ところがその男は別に三郎をつかまえるふうでもなく、みんなの前を通りこして、それから淵のすぐ上流の浅瀬を渡ろうとしました。それもすぐに川をわたるでもなく、いかにもわらじや脚絆(きゃはん)のきたなくなったのをそのまま洗うというふうに、もう何べんも行ったり来たりするもんですから、みんなはだんだんこわくなくなりましたが、そのかわり気持ちが悪くなってきました。」
この「鼻の尖った男」は川の地質調査をしているとも解釈できるため、賢治自身という説や、賢治が盛岡高等農林学校時代に教えを受けた土壌学者の関豊太郎教授(グスコーブドリの伝記の風景その2・参照)をイメージしているという見解もあるようです。下には花巻農学校での教師時代の野を歩く賢治の写真を引用いたしました。野をさいかち淵に見立てて、こちらの場面をイメージしてみましょう。
出典:国立国会図書館、近代日本人の肖像、宮沢賢治
https://www.ndl.go.jp/portrait/datas/4318/
「鼻の尖った男」を川を荒らす侵入者と感じた子供たちは、彼に向かって以下のようなフレーズを繰り返します。
「あんまり川を濁すなよ、
いつでも先生言うでないか。・・・・・・」
その男は
「この水飲むのか、ここらでは。」「川をあるいてわるいのか。」
などと困ったような返答をしますが
「その人はあわてたのをごまかすように、わざとゆっくり川をわたって、それからアルプスの探検みたいな姿勢をとりながら、青い粘土と赤砂利の崖がけをななめにのぼって、崖の上のたばこ畑へはいってしまいました。」
どうやら「鼻の尖った男」を三郎を捕まえにきた「専売局」と考えたのは誤りだったようです。不気味ながらもどこかユーモラスな挙動は「デクノボー(雨ニモマケズより)」を理想とした賢治の姿を描いているようにも思えます。
「みんなもなんだか、その男も三郎も気の毒なようなおかしながらんとした気持ちになりながら、一人ずつ木からはねおりて、河原に泳ぎついて、魚を手ぬぐいにつつんだり、手にもったりして家に帰りました。」
毒もみ
「次の朝、授業の前みんなが運動場で鉄棒にぶらさがったり、棒かくしをしたりしていますと、少し遅れて佐太郎が何かを入れた笊(ざる)をそっとかかえてやって来ました。・・・・・・一郎がそれをのぞくと、思わず顔いろを変えました。」
入っていたのは「毒もみ」に使う山椒(さんしょ)の粉でした。この毒を川にまくと魚を一時的に麻痺させ、大量に捕ることができますが、「それを使うと発破(はっぱ)と同じように巡査に押えられるのでした。」とあります。「毒もみ」は環境保護の観点から法律で禁止されることになりますが(日本では1951年)、童話「毒もみのすきな署長さん」で賢治は署長に以下のように言わせています。悪いこととは知りながら、佐太郎をはじめとした子供たちは毒もみに魅力を感じていました。
ああ、面白かった。おれはもう、毒もみのことときたら、全く夢中なんだ。いよいよこんどは、地獄で毒もみをやるかな。
出典:毒もみのすきな署長さん、宮沢賢治
「二時になって五時間目が終わると、もうみんな一目散に飛びだしました。佐太郎もまた笊をそっと袖でかくして、耕助だのみんなに囲まれて河原へ行きました。三郎は嘉助と行きました。みんなは町の祭りのときのガスのようなにおいの、むっとするねむの河原を急いで抜けて、いつものさいかち淵に着きました。すっかり夏のような立派な雲の峰が東でむくむく盛りあがり、さいかちの木は青く光って見えました。」
佐太郎「ちゃんと一列にならべ。いいか、魚浮いて来たら泳いで行ってとれ。とったくらい与(や)るぞ。いいか。」
上にはミキハウスから出版されている「風の又三郎」の写真を引用させていただきました。インスタグラムの2・3枚目は毒もみのやり方や効果について描かれたページです。ここでは、青い帽子をかぶった人を佐太郎に重ねてみましょう。
「みんなしいんとして、水をみつめて立っていました。・・・・・・ところが、それからよほどたっても魚は浮いて来ませんでした。」
佐太郎の毒もみは失敗したようで魚は一匹もとれませんでした。
鬼っ子
きまり悪そうにしていた佐太郎ですが、「鬼っこしないか。」と毒もみを断念することを宣言します。子供たちは鬼を決めるじゃんけんを始めました。
「一郎も河原から来て手を出しました。そして一郎ははじめに、きのうあの変な鼻のとがった人の上って行った崖がけの下の、青いぬるぬるした粘土のところを根っこにきめました。そこに取りついていれば、鬼は押えることができないというのでした。」
(「根っこ」とは鬼ごっこの安全地帯の意味)
何度も鬼が変わりますが
「しまいにとうとう三郎一人が鬼になりました。」
とのこと。
嘉助「又三郎、来こ。」
と「口を大きくあいて、手をひろげて三郎をばかにしました。」
すると、
三郎「ようし、見ていろよ。」
と嘉助たちが避難している粘土のところに泳いでいきます。
「その粘土のところはせまくて、みんながはいれなかったのに、それにたいへんつるつるすべる坂になっていましたから、下のほうの四五人などは上の人につかまるようにして、やっと川へすべり落ちるのをふせいでいたのでした。・・・・・・三郎はぼちゃぼちゃ、もう近くまで行きました。・・・・・・すると三郎は、いきなり両手でみんなへ水をかけ出しました。みんなが、ばたばた防いでいましたら、だんだん粘土がすべって来て、なんだかすこうし下へずれたようになりました。・・・・・・」
下にはさいかち淵のあった場所より少し上流の橋のストリートビューを引用いたしました。中央部の対岸には粘土質と思われる地面が露出しています。ここでは「みんなはぼちゃんぼちゃんと一度にすべって落ちました。」というシーンを想像してみましょう。
三郎はすべり落ちる子供たちを一網打尽にした後、最後に泳いで逃げる嘉助を押さえ「腕をつかんで四五へんぐるぐる引っぱりまわしました。」
水を飲んだ嘉助は「霧をふいてごぼごぼむせ」てしまいます。
子供たちは鬼っ子を止めて手前側の岸の砂利のところに上がりますが、三郎はまだ対岸にいて、さいかちの木の下に立っていました。
そのうちに空は黒い雲で覆われ、雷が鳴り夕立ちがやってきます。さらに「風までひゅうひゅう吹きだしました。」
下の写真のように増水して流れが速くなっていたかもしれません。
こちらに三郎たちを置いて、以下の風景を想像してみます。
「みんなは河原から着物をかかえて、ねむの木の下へ逃げこみました。すると三郎もなんだかはじめてこわくなったと見えて、さいかちの木の下からどぼんと水へはいってみんなのほうへ泳ぎだしました。」
出典:写真AC、雨で増水した川
https://www.photo-ac.com/main/detail/22351153&title=%E9%9B%A8%E3%81%A7%E5%A2%97%E6%B0%B4%E3%81%97%E3%81%9F%E5%B7%9D
「すると、だれともなく、
『雨はざっこざっこ雨三郎、風はどっこどっこ又三郎。』
と叫んだものがありました。」
そして他の子たちも「すぐ声をそろえて叫びました。」
三郎が最初に叫んだのは誰かと尋ねますが、子供たちは知らないと答えます。
「三郎は気味悪そうに川のほうを見ていました・・・・・・」
最初に叫んだのが誰かについては「子供たちの一人」や「風の神(風の又三郎)」などさまざまな解釈があります。ストーリーごとの異なるイメージを楽しんでみましょう。
数日後の明け方、一郎の夢のなかで再度、以下の歌(風の又三郎の風景その1・参照)がながれます。
「どっどど どどうど どどうど どどう・・・・・・」
以下には協奏曲集「イーハトーヴ交響曲(作曲・冨田勲)」に収録された「風の叉三郎」(作曲・杉原泰蔵、1940年の日活映画「風の又三郎」の主題曲)の動画を引用させていただきました。
起きてみると外は暴風雨でした。胸騒ぎを覚えた一郎はいつもより早く嘉助を誘って学校に向かいます。
嘉助「先生、又三郎きょう来るのすか。」
先生「又三郎って高田さんですか。ええ、高田さんはきのうおとうさんといっしょにもうほかへ行きました。日曜なのでみなさんにご挨拶するひまがなかったのです。」
嘉助「先生飛んで行ったのですか。・・・・・・やっぱりあいづは風の又三郎だったな。」
・・・・・・
「風はまだやまず、窓ガラスは雨つぶのために曇りながら、またがたがた鳴りました。」
旅行などの情報
せんまや街角資料館
煙草の葉を何気なくむしってしまった三郎に対し「専売局に叱られるよ」と子供たちが警告する場面がありました。「千厩葉煙草専売所」は明治時代に全国に建てられた61か所の専売局の一つで、事務所の建物としては唯一現存する貴重な文化遺産です。ちなみに岩手県には千厩だけでなく賢治の地元・花巻市の大迫町にも専売局があり、煙草が盛んに生産されていました。
出典:Ty19080914, CC BY-SA 4.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0, via Wikimedia Commons、せんまや街角資料館
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Senmaya_Museume,Ichinoseki,Iwate.jpg
現在、専売局の建物は「せんまや街角資料館」として公開中で、上に引用したように入口ではモダンな波形破風がお出迎えしてくれます。また、レトロな状態が保たれた館内には葉煙草の歴史を伝える資料のほか、地元映画館で使用した35mmの映写機などが展示され、地域の歴史資料館にもなっています。イベントや企画展も実施していますので公式SNS(せんまや街角資料館公式X)などでチェックしてみてください。
基本情報
【住所】岩手県一関市千厩町千厩字北方129-1
【アクセス】JR大船渡線千厩駅より徒歩で約20分
【参考URL】https://sakenokura.com/wp/machikado/