村上春樹「ダンス・ダンス・ダンス」の風景(その8)

ハワイへ

五反田君に会った「僕」は、メイが絞殺されたこと、彼をかばうために彼女のことを知らないと虚偽の証言をしたことを彼に伝えました。また、ユキからの誘いを受けて彼女の母が滞在するハワイに行き、リゾートを満喫することになります。そんなある日、ダウンタウンをドライブする「僕」の前に現れたのは・・・・・・

五反田君に連絡

警察から解放された次の日、「朝起きて、僕は駅まで新聞を買いに行った。九時前だったので通勤する人々が渋谷の駅前を歩いていた。春だというのに、微笑んでいる人は数えるほどしかみあたらなかった」とのこと。

下には1983年の渋谷駅の写真を引用させていただきました。雨が降っているせいもあるでしょうか、こちらの写真にも笑顔の人は見当たりません。

「僕」は
「僕は売店で新聞を二紙買い、ダンキン・ドーナツでドーナツを食べ、コーヒーを飲みながらそれを読んだ」
とあります。新聞には
「ディズニーランドが開園することやら、ヴェトナムとカンボジアが戦争していることやら、都知事選挙のことやら、中学生の非行のことやらが載っていた。でも赤坂のホテルで美しい若い女が絞殺されたことについてはもうただの一行も触れられてはいなかった」
とのこと。

以下にはディズニーランド開園前の新聞の写真を引用させていただきました。現在とは利用方法が違っていたようです。

映画欄に目を移すと
「『片想い』はもう終わっていた。それで僕は五反田君のことを思い出した。少なくとも彼にはメイのことを知らせておくべきだろう。もし何かの拍子で彼が取り調べられでもして、そこで僕の名前が出てきたら、僕は非常にまずい立場に立たされることになる」

そこでお店のピンク電話から五反田君の留守電に連絡をしてほしいとのメッセージを入れました。

「調整のための一日だった。やらなくてはいけないことが沢山あった。そういう一日がある。現実的になって、現実的な現実と正面から取り組まねばならない一日」

「まず僕は何枚かのシャツをクリーニング屋に持っていき、何枚かのシャツを持って帰ってきた。そして銀行に行って現金を出し、電話料金とガス料金を払った。家賃もふりこんでおいた。靴屋に寄って、踵を新しい物にかえてもらった。目覚まし時計の電池と生のカセット・テープを六本買った。そして部屋に帰ってFENを聴きながら部屋の片づけをした。・・・・・・」

「スティックスの『ミスター・ロボット』にあわせて歌いながら雑巾でブラインドを拭いていると、電話のベルが鳴った。五反田君からだった」
上に引用させていただいた曲を背景にして「僕」と五反田君の会話を聞いてみましょう。

僕「一度直接会ってゆっくり話せないかな?電話じゃちょっとまずい話なんだ」
五反田君「いいよ。でもそれ、急ぐのかな。今いささか仕事がたてこんでるんだよ。・・・・・・二、三日経つと楽になってけっこうゆっくりできるんだけどね」
僕「忙しいところを申し訳ないとは思う。でも人が一人死んでいるんだ・・・・・・僕らの共通の知人で、警察が動いている」
五反田君「わかった。今夜会えると思う。・・・・・・たぶん一時か二時に電話をかけることになると思うよ。悪いけど今のところその前にはどうしても時間をあけられないんだ」

メイの事件を伝える

五反田君「悪いんだけど、もしできたら今から君の車で僕の家まで来てくれないかな?」
僕「今からここを出る。二十分くらいでそちらに着くと思うよ」

五反田君「これからまだ横浜まで行かなくちゃならない。明日の朝早く映画の撮影があるんだ。・・・・・・ホテルはとってある」
僕「じゃあ横浜まで送ろう」

上に引用させていただいたような「ビーチ・ボーイズ」の曲を聴きながら「僕」のスバル・レオーネの中でひとしき昔話をした後、

五反田君「もしよかったら、その、君の言った死んだ人間の話をしないか、そろそろ?」
僕「メイ・・・・・・彼女が死んだんだ。殺された。赤坂のホテルで、ストッキングで絞め殺された。犯人はわかってない」
五反田君「ひどい・・・・・・それはちょっとひどすぎる。殺す理由なんて何もない。良い子だった・・・・・・よく三人で朝まで話をした・・・・・・僕とメイとキキで。楽しかった。親密な気分になれた。・・・・・・でもひとつずつ消えてなくなっていく」

五反田君「どうして君は彼女が死んだことを知ったの?」
僕「警察に呼ばれた・・・・・・彼女が僕の名刺を持っていたんだ・・・・・・死体写真を見せられて、この女を知っているかと尋ねられた。タフな刑事が二人だよ。知らないって言った。嘘をついた」
五反田君「どうして?」
僕「どうして?君に紹介されて二人で女を買いましたって言えば良かったか?そんなこと言ったらどうなると思う?」
五反田君「悪かった・・・・・・僕も少し混乱してるんだ」

「僕はニュー・グランド・ホテルの前に車を停めた」
とのこと。
「彼はトレンチ・コートの襟を立てて、春の小雨の中をニュー・グランド・ホテルの玄関に入っていった『カサブランカ』みたいだ」
と考えながら、彼との友情を感じるシーンがあります。

上には映画「カサブランカ」の名場面の動画を引用させていただきました。パリ・リヨン駅で手紙を受け取る場面やラストシーンのカサブランカ空港のシーンには、トレンチ・コートの襟を立てたハンフリー・ボガードが雨に濡れる姿が写っています。

ハワイへ

僕「家でじっとしてると体に良くない」
ユキ「ねえ、ハワイに行かない?」
僕「ハワイ?」
ユキ「ママが電話してきて、私に少しハワイに来ればっていうの。あの人いま、ハワイにいるの。ハワイで写真とってるの。ずっと私のこと放っといたんで、きっと突然心配になったのね・・・・・・それでもしあなたが来られるんだったらあなたの分のお金も出してくれるって。だって私ひとりで行けないでしょう?一週間くらい遊びに行こうよ」

「東京の街で全くの手詰まりになっていた」「僕」は、
「(ハワイで)一週間のんびりして、たっぷりと泳いで、ピナ・コラーダを飲んで帰ってくる。・・・・・・そしてあらためて視点を変えて物事を見直し、考え直してみる・・・・・・悪くない」
と考えてユキの話に乗ります。

出典:Benoît Prieur, CC0, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Mosa%C3%AFc_(Flic-en-Flac)_-_pinacolada.jpg

ピナ・コラーダはラムベースのカクテルで、パイナップルジュースとココナッツミルクを加えた南国感満点のドリンクです。上に写真を引用しました。

父の牧村拓にも電話で許可を取りました。
牧村拓「君も外国に行ってのんびりしてきた方がいい・・・・・・警察にも小突きまわされずにすむ。あの事件はまだ落着してないんだろう?あいつらまた君んところにくるぞ、きっと」
僕「そうかもしれないですね」

ワイキキビーチにて

「それでは次のニュース。僕はフォート・デラシーのビーチに寝転んで高く青い空と梛の葉と鷗を見上げながらそう口に出してみた。」

「この間まで雪の降りしきる札幌の街をあてもなく歩きまわっていた。それが今はホノルルのビーチに寝転んで空を見上げている」

「音楽にあわせて踊っていたら、ここまでやってきた。僕は上手く踊っているだろうか?」

フォート・デラシー(フォート・デルッシー)は3kmにわたるワイキキビーチの一部で、ワイキキのなかでも隠れ家的なスポットです。

上にはフォート・デルッシーの海岸の写真を引用させていただきました。
「光はあきれるほど惜しげもなく地上に降り注ぎ砂を焼いた」
「僕は頭のネジを緩め、リラックスした。休憩時間なのだ」
という景色をイメージしてみましょう。

アメの家へ

ユキの母は「アメ」という著名な写真家でした。仕事に夢中になると現実的なことを忘れ、ユキをホテルに置いて撮影旅行に出かけてしまうことも珍しくありません。ハワイでは「ディック・ノース」という片腕の詩人が一緒に住んで世話をしていました。

彼女は「ホノルルから車で三十分くらい」、オアフ島西部の「マカハの近くにコテージを借りて住んでいた」とのことです。

下にはマカハ周辺にある住宅地周辺のストリートビューを引用させていただきました。

ここでは
「トロピカル風にアレンジされたモダンな建物だった。玄関の前にベランダがあり、軒下で風鈴が揺れていた」
という家をこちらの中に探してみましょう。

ディック・ノース

玄関のチャイムを鳴らすと、「よく日焼けしたあまり背の高くない白人のアメリカ人(ディック・ノース)」が姿を見せ、中に通してくれます。
ディック・ノース「彼女は今、現像の最中なので、あと十分くらいで来ます・・・僕はディックと言います。ディック・ノース。彼女とここに住んでいます」
僕「よろしく」
彼はヴェトナム戦争で片腕をなくしたとのこと。
ディック・ノース「不思議な話ですが・・・・・・世間には片腕の詩人というのがいないのです。どうしてでしょうね?片腕のピアニストだっています。片腕のピッチャーだっていました」

出典:John Traub / Albuquerque Isotopes Baseball Club, CC BY-SA 3.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Jim_Abbott_Cannons.jpg


上には右腕の障害を乗り越えて米大リーグで通算87勝を挙げたジム・アボット投手の写真を引用させていただきました。

アメとユキ

「アメは半袖のダンガリのシャツに、白いよろよれのショート・パンツという格好だった。化粧もしていないし、髪は寝て起きたばかりとでもいうようにくしゃくしゃに乱れていた。それでも彼女は魅力的な女性だったし、僕が札幌のホテルの食堂で見掛けた時と全く同じような上品な傲慢さとでもいうべきものを漂わせていた」
とあります。

「アメとユキは一言も口をきかなかった。『元気?』もなく『どうしてる?』もなかった。母親が娘の髪をくしゃくしゃにして、こめかみに鼻をくっつけただけだった」
とのことです。

アメ「ねえ、あなた・・・・・・ユキと二人でいて何ともない?・・・・・・もちろん音楽のことよ。あのロック音楽。あなたあれ苦痛じゃない?」
僕「別に苦痛でもないですけれど」
アメ「あれを聞かされていると、私、頭痛くなってくるのよ。三十秒も我慢できない。どうしても。ユキといるのはいいんだけれど、あの音楽だけは駄目・・・・・・私が聞ける音楽というのはすごく限られてるの。バロック音楽とか、ある種のジャズとか。民族音楽とか。心を落ち着けてくれる音楽・・・・・・」

ディック・ノースはアメ好みの曲「モーツァルトの室内楽」をかけますが、上にはその一例として「セレナーデ第6番」の演奏を引用させていただきました。

一緒にマカハの海岸へ

「ユキと二人で家庭的な話をしたい」というアメを自宅に残し、「僕」とディック・ノースはマカハの海岸を散策することになります。

「あまりハワイらしくないビーチだった。背の低い不格好な樹木が茂り、砂浜も均一ではなくて、どことなくごつごつしていた・・・・・・付近にはピックアップ・トラックが何台か泊って、家族づれが水遊びをしていた」とのこと。

以下に引用させていただいたマカハビーチの写真のなかに「僕」たちの姿を置いてみます。

ディック・ノースは日本人の妻がいるが、アメの才能に引き寄せられてカトマンズやハワイを一緒に渡り歩いている、もう帰る場所はなくなってしまったとのことでした。
ディック・ノース「打ち明け話・・・・・・でも誰かに喋りたかった。どう思います?」
僕「僕は芸術的な人間じゃない。だからそういう芸術的にインスパイアされた関係というものがよくわからない」
「彼は少し哀しそうな顔をして海を見ていた」
とあります。

帰る途中で

帰り際に交わされた「僕」とアメとの会話を抜粋しましょう。
アメ「あの子をなるべくここに連れてきて。・・・・・・会って話をしたいの。そして友達になりたいの」
僕「あなたは彼女にとって友達である前に母親なんです・・・・・・僕はまったくの他人だからこんなことを言うのは見当違いかもしれない。・・・・・・でもね、彼女に必要なのは中途半端な友達じゃなくて、まず自分を全的に受け入れてくれる世界なんです」
アメ「あなたにはわかってないのよ」
二人の話はかみ合いません。

アメのコテージからユキを連れてホノルルに戻る途中、「僕」はビーチの駐車場に車を停めます。

下にはオアフ島西部の主要高速道路「ファーリントン・ハイウェイ」沿いにある「ウレハワビーチパーク」の駐車場付近のストリートビューを引用しました。

「十分ほどあとで、ユキは僕の肩に顔をつけて泣き始めた」
とのこと。
「母親が娘と友達になりたいと思っている。娘は友達よりは母親を求めている。すれちがいだ。何処にもいけない。母親にはボーイフレンドがいる。戻る場所のない片腕の詩人だ。父親にもボーイフレンドがいる。ゲイの書生のフライデー。何処にもいけない」

「僕だって君の立場だったら泣く。当たり前のことだ」

ホノルルの街歩き

ホノルルに戻った「僕」は夕食を食べた後、ユキを伴いダウンタウンの散策に出かけます。
「カラカウア通りをぶらぶらと散歩した。どことなくピントがずれた様々な種類の店をのぞいて品物を批評し、道を行く人々の姿を眺め」

下には「僕」たちも立ち寄ったであろう(?)「インターナショナルマーケットプレイス」の写真を引用させていただきました。

「混みあったロイヤル・ハワイアン・ホテルのビーチ・バーで休んだ。僕はまたピナ・コラーダを飲み、彼女はフルーツ・ジュースを飲んだ」

下に引用させていただいたのはロイヤル・ハワイアン・ホテルにある「マイタイバー」の写真です。

ビーチ・バーでの「僕」とユキの会話を抜粋してみましょう。

ユキ「ねえ、ママのことをどう思った・・・・・・あなたちょっと怒ってたでしょう?」
僕「そうかもしれない」
ユキ「何に対して?」
僕「君に対して責任を取るべき人間が誰一人として真剣に責任を取っていないことに対して」

「ホテルの中庭では同じような柄のムームーを着た女の子が電気ピアノを弾きながら『ソング・フォー・ユー』を歌っていた。あまり上手くはなかったが、『ソング・フォー・ユー』であることはたしかだった」
とあります。

上にはレオン・ラッセルの「ソング・フォー・ユー」を引用させていただきました。

「ユキは僕のピナ・コラーダを取って一口飲んだ」
ユキ「おいしい」
僕「動議支持・・・・・・おいしいに二票」

ユキ「それで、私はいったいどうすればいいのかしら?」
僕「お母さんは君に会いたがっている・・・・・・これまでに様々な軋轢を生みだしてきた母と娘という関係を越えて、君と友達になりたがっている」
ユキ「人と人が友達になるというのはすごく難しいことだと思うわ」
僕「賛成・・・・・・難しいに二票」

二人でサーフィンを

「翌日も見事にハワイ的な一日だった」
「サーフィンをやってみたいとユキが言ったので、僕は貸しボードを二枚借り、彼女と一緒にシェラトンの沖に出た」
とあります。
また、たっぷりと遊んだ二人は夕方になると
「スパゲッティとサラダを食べてからスピルバーグの映画を見にいった」

そして「ハレクラニホテルのプールサイド・バー」で
「僕はまたピナ・コラーダを飲み、彼女はフルーツ・ジュースを頼んだ」
とのこと。

以下には「ハレクラニホテル」のバー・「ハウス・ウィズアウト・ア・キー」の写真を引用させていただきました。

部屋に戻り、「僕」がベッドにもぐりこみ寝ようとしているとドアベルが鳴ります。ドアをあけると綺麗な女が立っています。
「私の名前はジューンっていうの」
牧村拓が手配した娼婦でした。

ダウンタウンにて

ユキの母にあったり、ユキとサーフィンをしたりしてハワイ滞在が約二週間になったころ、「僕」はユキとともにホノルルのダウンタウンをドライブします。
ユキが「『E.T.』をもう一回見たい」と言って、その映画について話している時
「僕は殆ど反射的にブレーキを踏んだ」
とのこと。

「そうだ、僕はなにかを見たのだ・・・・・・キキだ」

上にはホノルルのダウンタウンの写真を引用させていただきました。
こちらのどこかに「ブルーのワンピースと白いショルダー・バッグ」を持ったキキと思われる女性と、彼女を走りながら追いかける「僕」の姿を置いてみましょう。

彼女が入っていった部屋のなかで見たのは何らかのメッセージと考えられる六体の人骨でした。そして、キキは電話番号の書かれた紙片を残してどこかに消えてしまいます。

「僕」は、ハワイですべきことは終わったと感じ、休暇を終了することにします。次回(ダンス・ダンス・ダンスの風景その9最終回・参照)は再び日本での冒険を追っていきましょう。

旅行などの情報

フォート・デルッシービーチ

ワイキキビーチは8つのビーチの総称です。なかでもフォート・デルッシーは中心部から少し離れているため比較的空いているのが特徴。また、米軍保養地の前にあるため日本人は少なく、静かに過ごしたい方におすすめです。

下に引用させていただいたようなダイヤモンドヘッドの迫力のある姿も見ることができます。ユキたちのようにマリンスポーツや海水浴で体を動かしたあとは、ビーチサイドのバーでゆっくりとお過ごしください。

基本情報

住所:2055 Kālia Rd, Honolulu, HI 96815 アメリカ合衆国
参考URL:https://www.tripadvisor.jp/Attraction_Review-g60982-d1813657-Reviews-Fort_DeRussy_Beach_Park-Honolulu_Oahu_Hawaii.html

マイタイバー(ロイヤル・ハワイアン内)

ロイヤル・ハワイアン・ホテルにあるバーで1959年のオープン。代表的なトロピカルカクテル「マイタイ」を広めたお店としても有名です。以下に引用させていただいた写真のように、目の前にワイキキビーチが広がる素敵な景色を眺めながらカラフルなドリンクをいただけます。

基本情報

住所:2259 Kalākaua Ave, Honolulu, HI 96815 アメリカ合衆国
参考URL:https://tabelog.com/hawaii/A6001/A600101/60000148/

ハウス・ウィズアウト・ア・キー

「ハレクラニホテル」のバーで、下に写真を引用させていただいたようにサンセットが綺麗なことでも有名です。夕方からはハワイアンの演奏やフラダンスのショーが開催されているので、カクテルなどを飲みながら贅沢な時間を楽しんでみてはいかがでしょうか。

基本情報

住所:2199 Kālia Rd, Honolulu, HI 96815 アメリカ合衆国
参考サイト:https://tabelog.com/hawaii/A6001/A600101/60000048