内田康夫「遠野殺人事件」の風景(その3最終回)

真犯人は誰?

吉田と留理子は佐藤卓(遠野殺人事件の風景その2・参照)の愛人から、彼が遠野の事件とは無関係であると聴き、罪を着せられて殺されたと判断しました。吉田は佐藤の殺害を企てた主犯として夏目部長をマークし、さらにその共犯者の特定を急ぎます。そして、その候補として夏目と親しい土橋が浮上!留理子はフィアンセが共犯かどうかを確かめようとしますが・・・・・・

吉田の捜査に批判が

佐藤卓の遺体が発見されてしばらくして、東京の新聞に以下のような記事が掲載されたとのこと。署長からも嫌味をいわれ、表立った捜査が難しくなります。
「―――家電会社課長の自殺 遠野の殺人事件と関連か?
去る十一月十三日に自殺した平安電器経理部課長佐藤卓さん(四二)は、じつは今年八月八日に岩手県遠野市で同社の女子社員、河合貴代さん(当時二八)と松永貞子さん(同二七)が殺され、あるいは自殺した事件と関係している疑いのあることが当社の調べで明らかになった。同課長の自殺は動機不明のまま処理されていたが、その直前、遠野警察署と岩手警察本部が同課長の身辺捜査と八月八日当時のアリバイ捜査を行っており、同課長の自殺はその矢先の出来事だった。同課長の自殺によって捜査は打ち切られたが、今後の推移によっては、遺族に対する補償問題などで警察当局の明確な判断が求められることも予想される。・・・・・・」

上には「遠野市立博物館」による投稿写真を引用させていただきます。新聞にはこちらのような五百羅漢の風景が掲載されていたかもしれません。

なお、当日の佐藤卓の足取りは会社の上役(夏目勇二)を訪ねたのを最後に消息をたっているとのこと。その夏目は遠野の事件のころにも佐藤卓とともに盛岡方面に出張しています。このあたりで、吉田は夏目のことを疑いはじめました。

佐藤課長のアリバイ

そんな矢先、吉田宛に匿名の電話がかかってきます。
「佐藤さんには実際にはちゃんとしたアリバイがあるのです。八月八日の午後七時以降は東京にいたのですから。・・・・・・正確にいいますと、十八時二十五分上野着の新幹線リレー号が少し遅れて到着しましたから、午後六時半ごろには東京にいたことになります。」
そして、八月九日に帰宅したという佐藤のアリバイ工作はその匿名の女性の家に泊まることを隠すためだったとのこと。匿名の女性は佐藤卓の不倫相手で、彼と同じ経理課の白井きよ子であることがわかりました。

下には1983年に撮影された新幹線リレー号の写真を引用しました。ここでは、人目を避けるようにしてホームを移動し、白井きよ子のもとへ急ぐ佐藤卓の姿をイメージしてみましょう。

出典:sakisakisaki, CC BY-SA 3.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:1983_%E4%B8%8A%E9%87%8E%E9%A7%85_6%E7%95%AA%E7%B7%9A_%E6%96%B0%E5%B9%B9%E7%B7%9A%E3%83%AA%E3%83%AC%E3%83%BC%E5%8F%B7_%E6%98%AD%E5%92%8C%E4%B9%97%E5%8B%99%E5%93%A1%E5%88%B6%E6%9C%8D_no.3_.jpeg

吉田は同じ会社の後輩である留理子の仲介で白井きよ子と会うことができました。以下はその時の会話の抜粋です。

吉田「われわれがもっとも知りたいのは、なぜ佐藤さんが死ななければならなかったのか、ということなのですよ」
きよ子「結論から言いますと、死ななければならないということはなかったと思います。・・・・・・課長は、亡くなる前の日に、私にこう言ったのです。『僕は社を辞めることになるかもしれない。しかし、そうなっても、きみは会社に残りなさい。僕はすでに次の仕事先を確保しておいたから、心配いらない』って。・・・・・・」
留理子「殺されたんです。・・・・・・つまり、遠野の事件の犯人が、佐藤課長に疑いがかかっているのをさいわい、濡衣を着せて自殺に見せかけて殺したというふうに・・・・・・」
きよ子「もしそうだとしたら、犯人は課長のごく身近なところにいる人物ということになるんじゃないかしら?だって、課長に警察の手が伸びていることを知っていたのは、ごくかぎられた人間だけでしょう?」

共犯者の存在が浮上

十二月にはいって吉田は県警本部に出頭し、捜査状況の報告をしますが、県警一課長の反応は思わしくありません。
・フィルムのトリックの可能性はあるが証拠能力が低いこと
・愛人の白井きよ子の証言に信憑性に欠けること
を問題点とし
「残念ながら、きみの裏付け調査はこの点に関してはいささか不備のあることを指摘しなければならない。佐藤卓のアリバイを立証するなら、もっと客観的データを収集しなければ説得力に欠けると言わざるを得ないね。・・・・・・あれはやはり、松永貞子の犯行、そして自殺という結論がもっとも妥当なものであると信じている」
このように吉田の考えは一蹴されてしまい、彼は自分が正常な判断力を失ってしまったのではと疑います。

「列車が鱒沢から猿ヶ石川沿いに盆地に入って行ったとき、吉田はしかし不思議に心が安らぐような気がした。・・・・・・風景の中にどこといって新しい発見があるわけではないのだから、それは吉田自身の側に起因しているということなのだろう。」
「(老いだ―――)と吉田は思った」
そして、彼は引退を決意します。

上には鱒沢駅(左側が駅舎)周辺のストリートビューを引用いたしました。右側には「淡水魚の宝庫」ともいわれる猿ヶ石川が流れ、周囲を山々が囲んでいます。雲の多い天気も吉田の気分を表しているようです。

家に帰ると妻の登美子に、突然こういいました。
吉田「おい、俺は刑事を辞めようと思う」
登美子「ふーん・・・・・・そうだね、そのほうがいいわね」
吉田「なんだ、理由も訊かねえのか」
登美子「訊かねでも、分かるもの。父さん、疲れてるものね。・・・・・・そうでなきゃ、そんな泣き言みてえなこといわねえもの、父さん」
吉田「馬鹿、誰が泣き言なんか言った、そんたらことではねえんだ。つまりだな、捜査能力に限界を感じたつうことだな。俺の考えはどうも調子っ外れみてえで、刑事には向いてねえことになっちまったようだ」
登美子「父さんの調子っぱずれは、昔っからでねかったっけか」
妻に指摘された吉田は冷静になり、ひとりで暴走してしまう性格は今も昔も同じであることを思い返します。
吉田「そう言えば、そうだなや」

妻に励まされた吉田は再捜査のため、検査入院を口実に東京に向かいました。以下は東京に向かう途中の乗り換え駅・花巻駅(釜石線の終点)周辺での記述です。
「吉田は、歩いた道筋を頭の中で辿ってみた。その作業は列車に乗ってからも続いていた。そして、主な登場人物の動いた軌跡を思い浮かべる。さまざまなルートが錯綜し、こんがらかった。
その中から、佐藤卓と夏目勇二の軌跡が妙にくっついたり、離れたりしていることに気づいた。しかも、遠野の事件も、佐藤の『自殺』も、ともにこの二人が接触し、離れた、その動きの部分で発生している」

出典:国土地理院撮影の空中写真(1974年~1978年)
https://maps.gsi.go.jp/#15/39.395330/141.109843/&ls=ort%7Cgazo4%7Cgazo3%7Cgazo2%7Cgazo1%7Cnendophoto2008%7Cnendophoto2018%7Cnendophoto2017%7Cnendophoto2016%7Cnendophoto2015%7Cnendophoto2023%7Cnendophoto2022%7Cnendophoto2021%7Cnendophoto2020%7Cnendophoto2019%7Cnendophoto2014&blend=0000&disp=0111110010010111&lcd=gazo1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1&d=m

「車両がガタンガタンと横揺れした。列車は花巻駅構内へ侵入していくところだった。いくつかのポイントを通過しながら、東北本線に合流する。レールが近づき、遠のき、また別の線が接触する。・・・・・・いままで同一線上を進んでいたレールが、すーっと離れてゆく。ほとんど間を置かずに別のレールが合流してくる。ガタガタ、と列車が揺れる。その瞬間、吉田の頭の中に、ひとつの『状況』が浮かんだ。(もしかすると―――)」

上には昭和50年前後の花巻駅の空中写真を引用させていただきました。東北本線(中央上から)と釜石線(右上から)の線路が花巻駅(十字マーク)で合流しています。また、左上から駅に向かって斜めに走るラインは昭和44年に廃線になった花巻電鉄の線路跡でしょうか。このような光景を目にした吉田の頭に以下のようなことが浮かんできました。

「夏目が遠野の事件に関与していたものと仮定すると、犯行を成立させるためには二つの方法しか考えられない。一つはアリバイを偽装すること、もう一つは、共犯者を使うことである。」

共犯者を探せ

東京の病院に検査入院した吉田は、彼を見舞いに訪れた留理子に対し事件についての考えを明かします。
吉田「じつに単純なことなのですがね、遠野の事件も佐藤さんの事件も、複数の犯人による犯行でなかったか、と思うのですよ。つまり共犯者がいるのではないかといういことです」
留理子「共犯・・・・・・て、じゃあ主犯は誰なのですか?」
吉田「いま浮かんでいるのは、夏目部長です」

夏目は佐藤と八月六日に盛岡駅で待ち合わせをし、工場や営業所を視察したのち八月七日は盛岡泊、八月八日に帰京しています。下には昭和50年頃の盛岡駅周辺の写真を引用させていただきました。もしかしたら、佐藤がわんこそばを食べたとき、夏目も一緒にいたかもしれません。

夏目の人物像は以下のように描かれています。
「夏目は社長の従兄弟という好条件に恵まれていながら、会社内では浮き上がった存在なのだ。もともと第二営業部なるものが、夏目のために社長が用意したセクションと言っていい。・・・・・・夏目は完全に見掛け倒しのボンクラだった・・・・・・社長自身がいち早くそれを見抜いたが、自分に責任がある以上、面倒を見ないわけにはいかない。・・・・・・夏目の要求に応じて土橋剛を横すべりさせたのも、その一つの例にすぎない。」

「夏目の不幸は同年配の従兄弟が大勢いて、その誰もが押しも押されもせぬ社会的地位を築いているというところにあった。夏目は身内の『大物』連中と伍してゆくために、絶えず背伸びをしていなければならなかったのだ。夏目が従兄弟たちより優れている点といえば、渋い二枚目的な風貌とスマートな体躯に尽きる」

留理子のフィアンセの土橋はそんな夏目に接近して、第二営業部の課長に昇進しています。

出典:今昔写語公式サイト、名古屋駅/国鉄東海道本線、1959年
https://konjaku-photo.com/?p_mode=view&p_photo=5632

吉田「夏目部長にもっとも近い人物というと、この土橋剛という人でしょうねえ・・・・・・これは一度、洗ってみたほうがよさそうですなあ」
留理子「でも、土橋さんにはアリバイがありますから・・・・・・私と一緒だったのです」
吉田「あっ・・・・・・そうでしたか。その方が宮城さんのフィアンセなのですね?」
留理子「土橋さんは、八月八日の朝八時半ごろ、私の家に寄ったあと、郷里の尾張一宮へ帰って、次の日の午前十時ごろ、名古屋駅に私を迎えに出てくれています。・・・・・・」

上には昭和50年代にも利用されていた三代目名古屋駅の写真を引用させていただきました。八月八日の昼から夕方にかけて遠野で犯行を行い、次の日、尾張一宮の実家から名古屋駅に迎えにくることは物理的に難しい思われますが・・・・・・

フィアンセも容疑者?

また、遠野で犯行を行うには盛岡に正午ごろに到着している必要があります。八月八日の朝八時半ごろ、東京成城学園前の留理子の家に立ち寄った土橋が間に合うためには飛行機を利用するしかありませんでした。吉田は当時、羽田・花巻便を運行していた東亜国内航空を訪ね、搭乗者の名前を調べてもらいます。

下には東亜国内航空(Toa Domestic Airlines)の機体の写真を引用させていただきます。当時の航空会社はANAとJAL、TDAの三社体制で、TDAは主に国内ローカル線を担当していました。

出典:Bokanmania, CC BY-SA 4.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0, via Wikimedia Commons、87年夏?大阪空港にて?YS-11とかち
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:%E5%A4%A7%E9%98%AA%E7%A9%BA%E6%B8%AF%E3%81%AB%E3%81%A6YS-11%E3%81%A8%E3%81%8B%E3%81%A1img052.jpg

留理子「花巻行の便ですけど、八月のダイヤには九時五十五分というのがあるそうなんですよね」
こちらの便だと土橋が盛岡に正午に着くことが可能です。」
吉田「ええ、そのとおりですよ。しかし、安心して大丈夫、その便の乗客の中には土橋剛さんの名前はありませんでした」

ただ、乗客名簿の中に、土橋と犬猿の仲であった元同僚の名前があったことが留理子には気にかかりました。

出典:写真AC、富士山
https://www.photo-ac.com/main/detail/25574835&title=%E5%AF%8C%E5%A3%AB%E5%B1%B1

少しストーリーを飛ばしますが、瑠璃子は土橋が事件と関係があるかどうかを確かめるために、土橋とのクリスマスデートの誘いに応じ、箱根のホテルに向かいました。

「御殿場インターから乙女峠を越えて箱根まで、気詰まりなだけのドライブであった。」

上には乙女峠からの富士山の写真を引用いたしました。ドライブ途中でこちらのような絶景ポイントを通過したかもしれませんが、フィアンセを犯人と疑っている留理子の目には入ってこなかったのではないでしょうか。

旅行などの情報

遠野市立博物館

「遠野殺人事件」では五百羅漢の位置を説明する箇所に「遠野市立博物館(民族博物館)」の名前が登場します。
「遠野駅から南へ、国道を越えて行くと遠野市ご自慢の民族博物館がある。その脇の急な坂道を登り、尾根伝いの道をさらに行くと、まもなくこんもりした山に行き当たる。・・・・・・」(2014年光文社文庫版・P25)

遠野市立博物館は多数の実物展示や映像により、「遠野物語」を中心にした周辺地域の歴史や文化を体験できる施設です。大画面シアターで見る「遠野物語」のアニメや上に引用させていただいたようなオシラサマ信仰についての展示といった常設展のほか、季節に応じた企画展なども実施しています。詳細は公式SNSをチェックしてみてください。

基本情報

【住所】岩手県遠野市東館町3-9
【アクセス】遠野駅から徒歩約9分
【参考URL】https://www.city.tono.iwate.jp/index.cfm/48,25002,166,html

荒神神社

周辺地区の権現様を祀った神社で、「荒神」の名前のとおりこちらの神様は他地区の神様と争って片耳をかじりとったという伝説があります。田園のなかに立つシンプルな茅ぶきの社殿ですが、春には下に引用させていただいたような水に映る空の青色、夏には稲の緑、秋には稲穂の黄金色、冬は雪の白といった季節ごとの色彩との景色が見どころです。

周辺には車数台分の無料駐車場があります。なお、神社や周辺の農地は個人の所有地となっていますので、節度をもって見学しましょう。

基本情報

【住所】岩手県遠野市青笹町中沢21
【アクセス】JR遠野駅から車で約15分
【参考URL】https://tonojikan.jp/tourism/aragamijinja-shrine/