内田百閒「第三阿房列車」の風景(その2)
房総花眼鏡・房総阿房列車
1953年の12月後半、百閒先生は「今度は向きを変えて、手近の房総へ出かけよう」と考えます。近場ですが「手前の市川、船橋までしか知らないので、その先の旅程を考えるのは大変新鮮な興奮を覚える」とのこと。山系君が「面白くもなさそうな、面白くなくもなさそうな曖昧な顔をして、私をせき立てに来る」と「借りて来てある交趾君の鞄」を持って出発します。
房総花眼鏡とは
ルートは両国駅を起点に銚子で1泊、続いて千葉駅、安房鴨駅、稲毛駅の近くで宿泊するスケジュールです。グーグルマップを利用すると大まかには下のようなルートとなります。百閒先生はこの「東京湾沿いの内房州と太平洋岸の外房州とで・・・・・・楕円が二つ出来て、千葉を鼻柱とした鼻眼鏡の様な旅行」を「房総花眼鏡」と呼びました。
東京駅名誉駅長の思い出
房総の「鄙びた阿房列車」に乗り込むに当たって、先生は鉄道80周年の行事で東京駅の名誉駅長になった時に受けたニュース記者とのやりとりを思い出します。
聞き手「東海道線・・の様な幹線の列車は、設備も良くサアヴィスも行き届いている。然るに一たび田舎の岐線などとなると、それは丸でひどいものです。同じ国鉄でありながら、こんな不公平な事ってないでしょう。・・・どう思いますか」
先生「表通が立派で、裏通はそう行かない。当たり前のことでしょう。・・・表筋を走る汽車が立派であり、田舎に行くとむさくるしかったり、ひなびたり、いいも悪いもないじゃありませんか」
下には名誉駅長を務めた際の写真を引用させていただきました。「そうは云った様なものの、余りにむさくるしい三等車は恐縮する」と「全線が大体三等編成」の房総旅行に少し不安を覚える先生をイメージしてみます。
出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」、内田百閒
https://www.ndl.go.jp/portrait/datas/6240
初めての両国駅へ
「総武線の電車はお茶の水駅から出るが、汽車は両国駅が起点である」とあるように両国駅は当時、千葉方面への長距離列車のターミナル駅でした。下には、昭和4年に竣工した頃の駅舎の写真を引用させていただきました。ちなみにこちらの駅舎は現在も西口駅舎として現在も使われています。
両国へ向かうタクシーの車内では「僕は両国駅は初めてなんだ」という先生に対し、「何だかごちゃごちゃした感じです」と山系君が応答しました。そして「往来から這入って行って、見当違いの所に入口がある様な気のする両国駅へ来た」とあります。こちらの駅前に、乗り付けた車から降りる先生たちの姿を置いてみます。
出典:Scanned from p.46 of Railway Pictorial No.828, Public domain, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Ryogoku_station_completed_in_1929.jpg
両国駅を出発
「この前長崎へ行った時は(第三阿房列車の風景その1・参照)、東京駅を出発して長崎に著くまで、二十七時間四十五分の間同じ汽車に乗り続けた」とあります。それに対し「今度は一日の内に、二時間半か三時間ぐらい汽車に乗ると、その日の行程を終って宿屋に泊まる」ため、のんびりとした旅になることが予想されます。
下には昭和44年の千葉駅周辺の汽車の写真を引用させていただきました。ここでは「C57か8らしい汽笛の音がして、銚子行三一九列車は見送亭(夢袋さんのこと)見送りの裡に発車した」というシーンを想像してみましょう。
風邪気味の山系君
初日は両国駅を出発する前、山系君は「鮨とサンドウイッチとキャラメルとお茶」を買ってきました。そして「両国駅発車以来、ヒマラヤ山系君はキャラメルの小函を一人でしゃぶり尽くし、稲荷鮨を一折平らげ、サンドウィッチは後の楽しみかと思ったら、続け様にむしゃむしゃ食べてしまった」とあります。
先生が「驚いてそのわけを尋ね」ると「風をひきそうなのです」とのこと。「キャラメルをしゃぶる顔じゃないね」とからかう先生に対し「そうでもありません」とすまし顔です。
下には森永製菓の公式インスタグラムから発売110周年記念の投稿を引用させていただきました。明治時代の発売以来、パッケージには「滋養豊富」の文字が刻まれ糖質が豊富に含まれています。山系君もこちらを食べて元気を回復したのかもしれません。
変わった形の銚子駅
駅舎は「本屋全体の感じが倉庫か格納庫の様で、少し薄暗く、よその駅とは丸で工合が違う」とあります。下に引用させていただいたのは先生の頃からの駅舎の写真です(1948年~2016年)。実際に当時の航空基地にあった飛行機の格納庫を再利用したものとされています。ここでは、駅長室で車を待つ先生たちのを想像してみましょう。
出典:くろふね, CC BY 3.0 https://creativecommons.org/licenses/by/3.0, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:%E9%8A%9A%E5%AD%90%E9%A7%85_-_panoramio_(3).jpg
犬吠埼で宿泊
銚子駅から犬吠埼までは「この河口程の大きな景色は私には珍しい」と利根川の大きさに圧倒され、また、砂浜から車に向かって「大きな黒い犬が砂煙を蹴立てて跳び掛かって」くる恐怖も味わいました。到着したのは「建物は新しい。設備も行き届いている様」な宿で「障子の外はヴェランダ風に張り出した縁側で、硝子戸の向うは太平洋である」とあります。
「第三阿房列車」では先生の宿泊した宿については触れていませんが、皇族や財界人、文人墨客が利用した「ぎょうけい(暁雞)館」も候補の一つです。下には今年(2023年1月)惜しまれつつ閉館した「ぎょうけい館」の企画展の投稿を引用させていただきました。先生の時代にはこちらの投稿の右側中央の三角屋根の建物を利用していたと思われます。
「綺麗なお風呂があるらしいけれど、省略してすぐ始めた」先生は、「暗い海に向かった左手の出鼻で光る灯台の明かりを見ながら、外の所の景色を聯想した」とあります。下にはぎょうけい館のお風呂から見た犬吠埼灯台方面の景色を引用させていただきました。先生の部屋からもこのような景色が見えていたのではないでしょうか。
出典:Makiba Kun, CC BY-SA 4.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:%E3%81%8E%E3%82%87%E3%81%86%E3%81%91%E3%81%84%E9%A4%A8_%E9%9C%B2%E5%A4%A9%E9%A2%A8%E5%91%82.jpg
吉田屋旅館に宿泊
2日目は千葉駅の街中の旅館に宿泊し午前2時過ぎまで痛飲し、3日目は鴨川に向かいます。こちらの宿については「陛下の行宮(あんぐう)になったという宿屋」との説明があることから、江戸時代創業の「吉田屋旅館」と思われます。
鴨川市内行幸啓年表
出典:鴨川市公式サイト
(中略)昭和28年
昭和天皇・皇后両陛下
5月6日吉田屋旅館
https://www.city.kamogawa.lg.jp/
下には先生が宿泊したころの「吉田屋旅館」の写真を引用させていただきました(昭和40年に鴨川グランドホテルとしてリニューアル)。「通された座敷の縁側の欄干から、すぐ下の太平洋の波打ち際を眺める」とあります。ここでは、どちらかの部屋の窓際から海を覗きこむ先生の姿を想像してみます。
海気館では・・・・
4日目・最終日は千葉駅から車で稲毛の旅館に向かいました。旅館は「島崎藤村、徳田秋声、上司小剣なぞが来て、小説を書いた家だそうである」と記述されており、明治から昭和まで続いた「海気館」であったと思われます。
海気館は、島崎藤村、徳田秋声、森鴎外、上司小剣といった文人たちが滞在し、また田山花袋の『弟』、里見弴の『おせっかい』、中戸川吉二の『北村十吉』など多くの文学作品にその名前が登場しています。
出典:千葉市役所公式サイト、文人に愛された別荘地「稲毛」
https://www.city.chiba.jp/
旅館は「中が大変ざわざわしている。方々の座敷に酔っ払いがいて、通された部屋の障子が破れている・・・・」など整っていない雰囲気です。さらに「お酌に座った女中が真先に煙草を吸い出して、お膳の上に煙をまき散らす。手洗いに起つとスリッパがぐっしょり濡れていて、気持ちが悪くて穿かれない」とあります。
旅館がお気に召さない先生は、このシリーズでも例を見ない思い切った行動に出ますが・・・・・・。詳細は小説本文にてお確かめください。下には海気館の往時の写真を引用させていただきました。潮風を受けながら、先生たちがこちらの宿に入っていくところをラストの風景といたしましょう。
旅行などの情報
犬吠埼灯台
明治7年に完成した灯台で白亜の美しい姿が特徴です。先生のころと同じく99段のらせん階段を上ると太平洋の雄大な景色を展望できます。灯台資料展示室には直径3m以上の「旧沖の島灯台国産一等レンズ」、旧霧笛舎には昭和26年まで犬吠埼灯台で実際に使われていた初代レンズが展示されるなど、ほかにも見どころが満載です。
なお、旅館でお酒を飲んでいると雨が上がり「白いまん円い月が浪の上にきらきら光りだし」とあります。先生が見たのは下に引用させていただいたような絶景だったかもしれません。
基本情報
【住所】千葉県銚子市犬吠埼
【アクセス】銚子電鉄銚子駅から徒歩で約10分
【参考URL】https://www.tokokai.org/tourlight/tourlight03/
鴨川グランドホテル
百閒先生が窓から波の姿を飽きずに眺めていた「旧吉田屋旅館」をリニューアルしたリゾートホテルで2018年の改修により、設備が近代的になっています。名称や建物は変化していますが、下に引用させていただいたような太平洋の絶景を満喫できるのは同じです。
周辺には鴨川シーワールドや鯛の浦などのレジャースポットが点在しているので、観光の起点としても利用しやすいでしょう。
基本情報
【住所】千葉県鴨川市広場820
【アクセス】JR安房鴨川駅から徒歩で約10分
【参考URL】https://www.kgh.ne.jp/04/
海気館跡~旧神谷伝兵衛稲毛別荘
最終日に宿泊した「海気館」は稲毛の浜辺(現・稲毛公園内)にありました。明治21年に稲毛海水浴場での病気療養施設として開業し、数年後にはリゾート旅館として営業を開始します。現在は埋め立てにより海岸線は遠ざかり、残された松林からわずかに当時の様子を偲ぶことができます。
周辺を散策するなら大正7年築の「旧神谷伝兵衛稲毛別荘」も併せて訪れるのがおすすめです。日本のワイン王・神谷伝兵衛が別荘とした建物で、百閒先生も車から眺めたかもしれません。下に引用させていただいたように一般公開もされているので、海水浴などに際に立ち寄ってみてはいかがでしょうか。
ちなみに神谷伝兵衛氏が創業した浅草の「神谷バー」は太宰治「人間失格(・・・の風景その3・参照)」にも登場する有名なお店でした。
基本情報
【住所】千葉県銚子市犬吠埼
【アクセス】銚子電鉄銚子駅から徒歩で約10分
【参考サイト】https://www.tokokai.org/tourlight/tourlight03/