村上春樹「ダンス・ダンス・ダンス」の風景(その4)

羊男との再会

「僕」は図書館に行き、「いるかホテル」についてのゴシップ記事が載った週刊誌を探します。そこには土地売買などの疑惑について書かれていましたが、支配人の行方など「旧いるかホテル」につながるヒントは得られませんでした。そんなある日、「僕」がホテルのエレべ―ターから降りてみると・・・・・・

朝食はダンキン・ドーナツ

ホテルでの宿泊中、朝食は近くのダンキン・ドーナツでとるのが「僕」の日課になっていました。ダンキン・ドーナツはアメリカを本拠とする人気のドーナツショップで、1970年から1998年までは、日本国内にも店舗を展開していました。

「ホテルの朝食なんて一日で飽きる。ダンキン・ドーナツがいちばんだ。安いし、コーヒーもおかわりできる。」というほどのお気に入りで、
「プレイン・マフィンを二つ食べ、大きなカップにコーヒーを二杯飲んだ」
とあります。

上に引用させていただいたのは韓国にあるダンキン・ドーナツのマフィンの写真です。ここでは新聞を読みながら、こちらのマフィンを美味しそうにほおばる「僕」の姿をイメージしてみます。

週刊誌の記事を調査

「僕」は朝食後にタクシーを拾い、「札幌でいちばん大きい図書館に行ってくれ」といいます。下には札幌市内で最大の蔵書がある中央図書館の写真を引用させていただきました。

中央図書館は1983年当時とは異なる新しい建物に移転していますが、こちらに「僕」の姿を置き、週刊誌の記事のコピーをとっている様子を想像しておきましょう。

「僕」は図書館を出て近くの喫茶店に移動します。記事は「新いるかホテル」が「政治的に決定された」計画に従って土地を買い占めた、という疑惑を追及する内容でした。

記事を読み終えた「僕」は、その記者に対し以下のような感想を抱きます。
「彼にはわかってないのだ。それは疑惑ですらないのだ。それは高度資本主義の当然のプロセスなのだ。・・・・・・それは立派な記事だったと思う。よく調べてあったし、正義感に溢れていた。でもトレンディーではなかった」
そして
「トレンディーじゃないんだ」
と僕がつぶやくと
「ウェイトレスが通りかかって、変な顔で僕を見た」
とあります。

旧いるかホテルの支配人の行方

ホテルに戻った「僕」は、かつての共同経営者に依頼して「業界の裏側にすごく詳しい記者」に以下のような内容について調べて欲しいと依頼します。
「何故新しいホテルが『ドルフィン・ホテル』という名前を引き継いだのか?
そして小ドルフィン・ホテルの経営者はどのような運命を辿ったのか?」
など。

「いつ電話がかかってくるかもしれないので、外に出たくなかったし、部屋にいれば本を読むくらいしかやることもなかった。ジャック・ロンドンの伝記を最後まで読んでしまうと、スペイン戦争についての本を読んだ」
とのこと。夜になると
「ルーム・サービスでサンドイッチを注文した。そしてサンドイッチをひとつずつゆっくりと食べ、ビールを冷蔵庫から出して飲んだ」
とあります。

ここではダンス・ダンス・ダンスの風景その7(・・・の風景その7・参照)でも登場してもらうトアロード・デリカテッセンのサンドイッチの写真を引用させていただきました。

こちらの写真のようなサンドイッチを味わっていると、かつての共同経営者から電話がかかってきます。

記者から得られた情報は
・旧いるかホテルの支配人は「『ドルフィン・ホテル』という名前を引き継ぐという条件」に立ち退きに応じたこと
・経営者の行方は誰も知らないこと
などでした。

五反田君

次の日も「僕」はダンキン・ドーナツで新聞を読みながら朝食をとります。映画欄には
「僕の中学校の時の同級生が俳優になって準主役で出演している映画」
があり、タイトルは「片思い」となっていました。

同級生の本名は「五反田亮一」ですが、
「もちろん立派な芸名をつけてもらっていた。五反田亮一というのは残念ながら女の子が共感を抱ける名前ではないのだ」
とあります。

五反田君は
「ハンサムで、スポーツ万能で、清潔で、足が長い役だった。初めのうちは大学生の役が多く、それから先生とか医者とか若いエリート・サラリーマンとかの役が多くなった」
とのこと。

上には五反田君(この時三十四歳)とも歳の近い俳優・三浦友和さんが出演した「風立ちぬ(1976年公開)」の予告編を引用させていただきました。三浦さんも五反田君と同様、多くの役を演じられています。

ただ、五反田君については「僕」は他の印象も抱いていました。
「感じはいい、でも実体はよくわからないのだ」

古代エジプトの水泳教室を想像

ホテルの部屋で窓の雪を眺めながら本を読んでいると「四時にドアにノックの音がした」とのこと。開けるとフロントの女の子(ユミヨシさん)が立っていました。「僕」はユミヨシさんを食事に誘いますが、スイミング・スクールがあるからと断られてしまいます。

僕「古代エジプトにもスイミング・スクールがあったの知ってる」
ユミヨシさん「そんなこと知らないわ・・・・・・嘘でしょう?」
僕「本当だよ。仕事の関係で一度資料を調べたことがあるんだ」

出典:写真AC
https://www.photo-ac.com/main/detail/26103083

一人でバーに行った「僕」は古代エジプトのスイミング・スクールに思いを馳せます。

「ナイル河の一部を区切るか何かして専用のプールみないなのを作り、そこでシックな泳ぎ方を教えたのであろう。・・・・・・インクみたいに濃いブルーのナイルの水、ぎらぎらと輝く太陽」

上にはナイル川の写真を引用しました。こちらのような風景を舞台にして、更に「僕」はエジプトのスイミング・スクールのキャスティングを楽しみます。

スクールの生徒にジョディー・フォスターが扮するクレオパトラ王女を配し、水泳教師役に五反田君、彼と三角関係になるアビシニアの王子はマイケル・ジャクソンというユニークな設定。下にはジョディー・フォスターさんの写真を引用しました。

出典:photo by Alan Light, CC BY 2.0 https://creativecommons.org/licenses/by/2.0, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Jodie_Foster_cropped.jpg

「僕」の頭には水泳教師とクレオパトラ、浴びシニアの王子の三角関係をメインにしたストーリーも浮かんできます。
「ジョディー・フォスター的クレオパトラが彼に失神するくらい夢中になる」。
「彼の方もジョディー・クレオパトラに夢中になる」
そこにアビシニアの王子(マイケル・ジャクソン)が登場し
「キャラヴァンの焚き火の目でタンバリンか何か持って『ビリー・ジーン』を歌い踊りながら。星の光を受けて目がきらりと光ったりするのだ」
とのこと。

上には「ビリー・ジーン」の動画を引用させていただきました。
「そして水泳教師とマイケル・ジャクソンとの間に葛藤がある。恋の鞘当てがある」

「僕がそこまで考えたところでバーテンダーがやってきて、申しわけありませんがそろそろ閉店の時間になりますのでと申し訳なさそうに言った。・・・・・・なんでこんな長いあいだ下らないことを考えていたんだろう」

寒くて暗い部屋で

バーを出た「僕」はエジプトの妄想を続けながらエレベーターの十五階(宿泊している階)のボタンを押しますが、着いた階は真っ暗闇でした。そこには「もうBGMは聞こえなかった」、「空気はひやりとして、黴臭かった」とあります。

「それは恐ろしいほどの完璧な暗闇だった。何ひとつとして形のあるものを識別することができないのだ。自分自身の体さえ見えないのだ。そこに何かがあるという気配さえかんじられないのだ。そこにあるものは黒色の虚無だけだ」とも

下にはこのような真っ暗闇を体験できる場所の一つとして信州善光寺のお戒壇巡りの写真を引用させていただきました。写真の階段を降りると漆黒の世界となり、右側の板壁をさわりながら「極楽の錠前」を目指す修行の場となっています。

以下、十五階での「僕」の行動を追ってみます。

「僕は腹をきめて、暗闇の中を手探りでゆっくり右に向けて歩き始めた」
お戒壇巡りでは「極楽の錠前」を目印に手探りで進みますが、「僕」は遠くに見「小さな光」が目印となります。おそるおそる近づいてみると「古い木製のドア」から漏れていることが分かりました。
「ドルフィン・ホテルにこんな古いドアが存在するはずがない」

勇気をだしてノックするとユミヨシさんが聞いたのと同じ「スリッパをひきずるようなさら、さら、という音」が・・・・・・

「ずっと待ってた。中に入りなよ」といって目の前に現れたのは「羊男」でした。

出典:Unsplash,ライト付きティーライト
https://unsplash.com/ja/%E5%86%99%E7%9C%9F/%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%88%E4%BB%98%E3%81%8D%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%88-UoGVBYdzRec

「小さな古いテーブルをはさんで、僕らは話をした。小さな丸いテーブルで、その上には蝋燭がひとつ置いてあるだけだった」とのこと。
ここでは写真の蝋燭の奥側に羊男の姿を置いてみましょう。

羊男との会話

突然、「羊男」というキャラクターが登場したのでイメージしにくいかもしれません。下に引用させていただいたのは早稲田大学・村上春樹ライブラリーにある「羊男」のイラストです。
こちらは「羊をめぐる冒険」に掲載された村上春樹氏自筆の「羊男」を原画としています。


「ダンス・ダンス・ダンス」に登場する羊男は、
「彼の着た羊の毛皮は昔より幾分薄汚れているように見えた。毛は固く全体的に脂じみていた。彼の顔を覆った黒いマスクも、僕が記憶していたものよりはずっと貧相に見えた。」
とのこと。四年ほどの年月を感じられます。

再び、羊男の姿を蝋燭の奥側に置き、会話を抜粋してみましょう。
羊男「ずいぶん久し振りだね・・・・・・でもかわらないね。すこし痩せたかい?」
僕「そうだね、少しやせたかもしれない」
羊男「外の世界の様子はどうだね?・・・・・・まだ次の戦争は始まっていないんだね?」
僕「まだだよ」

日本では戦争は起きていませんでしたが、世界的にはイラン・イラク戦争(1980年~1988年)のまっただ中でした。

出典:Uploader was gIre_3piCH2005 at fa.wikipedia, Public domain, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Iran-Iraq_War_Montage.png

羊男「もっと前に来ると思ってたよ」
僕「ここに来ることになるだろうとは思っていただんだ。・・・・・・来ようと決心するまでに時間がかかったんだ」
羊男「さあ、話してごらん」


「僕」は「何とか自分の生活を維持していること。でも何処にも行けないこと。・・・・・・誰をも真剣に愛せなくなってしまっていること・・・・・・何を求めればいいのかがわからなくなってしまっていること」などを語ります。


羊男「おいらの役目は繋げることだよ。ほら、配電盤みたいにね」
僕「僕は何かを感じるんだよ。何かが僕と繋がろうとしている。だから夢の中で誰かが僕を求め、僕のために涙を流しているんだ・・・・・・ねえ、僕はもう一度やりなおしてみたい。そしてそのためには君の力が必要なんだ」
羊男「おいらも出来るだけのことはするよ。あんたが上手く繋がれるように、やってみる。・・・・・・でもそれだけじゃ足りない。あんたも出来るだけのことをやらなくちゃいけない」
僕「それで僕はいったいどうすればいいんだろう?」
羊男「踊るんだよ・・・・・・きちんとステップを踏んで踊り続けるんだよ。そして固まってしまったものを少しずつでもいいからほぐしていくんだよ・・・・・・音楽の続く限り」

BGMが流れる現実の世界に帰還

羊男の部屋を出た「僕」はエレベーターに乗り、十五階のボタンを押します。

「十五階でエレベーターを下りると、天井に埋め込まれたスピーカーから流れる「ヘンリー・マンシーニの『ムーン・リヴァー』が僕を出迎えてくれた」とのこと。照明のある見慣れた場所でした。

上に引用させていただいた「ムーン・リヴァー」を聴いて、ほっとする僕の姿を想像してみましょう。

旅行などの情報

早稲田大学国際文学館(村上春樹ライブラリー)

早稲田大学国際文学館は、2021年の11月に開館した新しい施設です。同大学卒の村上春樹氏が寄贈された資料やレコードなども収蔵し、「村上春樹ライブラリー」とも呼ばれています。1階のギャラリーラウンジに行くと、上で紹介した羊男のイラストを背景に写真を撮ることができます。

また、建築家・隈研吾氏が設計した「階段本棚」は下に引用させていただいたような美しい外観が見どころです。所蔵する本は自由に手に取ることができるので、階段やラウンジで静かな時を過ごしてみていかがでしょうか。

ほかにショップやカフェも備え、早稲田周辺散策の立ち寄り場所としてもおすすめです。

基本情報

【住所】東京都新宿区西早稲田1-64
【アクセス】都電荒川線・早稲田駅から徒歩約4分
【公式URL】https://www.waseda.jp/culture/wihl/

横須賀米軍基地・フレンドシップデー

「僕」が札幌の朝食場所としていた「ダンキン・ドーナツ」は日本からはすでに撤退していますが、一部の在日米軍基地の中では現在も営業を続けています。例えば横須賀米軍基地が例年、春・秋に実施する交流イベントでは、基地内に立ち入ってダンキン・ドーナツを購入することが可能です。

下に引用させていただいたように色とりどりのセットなどが販売されており、少しずつ違う味が楽しめます。気になる方は横須賀市の公式サイトをチェックしてみてください。

基本情報

【住所】神奈川県横須賀市稲岡町82
【アクセス】京急・横須賀中央駅から徒歩約15分
【参考URL】https://www.cocoyoko.net/event/