宮本輝「野の春」の風景(その1)
昭和41年の春
「野の春」は宮本輝氏の「流転の海」シリーズの最終巻です。昭和41年の春、伸仁は一浪して大学に入り、次の年には熊吾がその時までは生きると約束した20歳を迎えようとしています。また、多幸クラブの社員食堂で働く房江は、元気を取り戻してきました。熊吾をとりまく仕事仲間の様子も含めてストーリーを追っていきましょう。
伸仁は大学生に
「伸仁が入学したのはことし開学となった追手門学院大学で、茨木市に新しいキャンパスがある。・・・・・・旧薩摩藩士の高島鞆之助が設立した。薩摩藩独特の郷中教育を取り入れるという理念を基としていた。・・・・・・関西では昔からよく知られていた学校だったし、戦後は裕福な家の子弟が通う学校としての地歩を築いていたので、熊吾は浪人中の伸仁に勧めてみた」
とのこと。
こちらの大学に入学した伸仁は「テニス部に入部するはめになって、まずテニスコートを作らねばならないらしい」とのこと。また、授業料を稼ぐために早朝から中央市場の乾物屋でアルバイトをしていました。下には宮本輝氏も通った追手門学院大学周辺の昭和時代の空中写真を引用させていただきました。
出典:国土地理院、追手門学院大学周辺(1974年~1978年)
https://maps.gsi.go.jp/#17/34.847132/135.557839/&base=std&ls=std%7Cgazo1&blend=0&disp=11&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1&d=m
同大学をモデルにした宮本輝氏の作品「青が散る」でも主人公がテニス部の設立にかかわり、コートを自分たちでつくるシーンが描かれています。追手門学院大学内にある「宮本輝ミュージアム」の資料によると、その場所は上の地図の十字マーク付近だったようです。
ここでは
「大学側にはまはまだテニスコートのための費用がないので部員たちでスコップやツルハシを使って作る」
という場面をイメージしてみましょう。
昭和41年の新聞から
熊吾は河内モーターの河内佳男(長流の畔の風景その1・参照)を訪ねます。そして、借りていた伸仁の大学入学金を「関孫六兼元」を売ったお金で返却しました(長流の畔の風景その3・参照)。
「応接用の机には朝刊が置いてあり、けさもアメリカ軍の北ベトナムへの空爆の記事が一面で報じてあった」
熊吾「憲法で戦争放棄を明言したお陰で、日本の若者はベトナムの最前線に行かんですんじょる。それだけでもありがたい・・・・・・」
河内佳男「もう泥沼ですなあ。いつ終わりまんねん?アメリカの若い兵隊は、なんで自分らがベトナム人と殺し合いをせなあかんのか、どうにも釈然とせんまま、ジャングルで機関銃を撃ちまくってまんねんなあ。ケネディが暗殺されてジョンソンが大統領になったら、一気に北ベトナムへの空爆が増えましたなあ・・・・・・」
上には「野の春」の舞台である昭和41年の新聞の写真を引用させていただきます。北ベトナムへの空爆という暗いニュースだけでなく、ビートルズの来日という明るい話題もありました。
大阪・福島駅周辺の風景
「・・・・・・伸仁は来年二十歳になると思った。河内に借りた進学費用も返した。肩の荷が降りた。俺の親としての責任は果たした。しかし、松坂熊吾という『大将』の責任はまだ果たし終えていない。」
愛人の博美に対しては
「博美がひとりで生きているようにしておかなければならない。今のような商売のやり方では先細りだ。博美の店から一分のところに大阪環状線の福島駅が完成した。その地の利を生かさねばならない・・・・・・」
その飲食店は沼津さち枝という老女の持ち物で、彼女は自分の介護をすることを条件に、店を営むことを許可しています。ただ、彼女が土地を売ってしまえば、博美の働き場所がなくなる状況でした。
上に引用させていただいたのは昭和40年ごろの大阪・福島駅周辺の風景です。こちらの写真のどこかに博美の店を置き、「大皿に茄子の煮浸しとひじきの五目煮と肉じゃがとレンコンの天麩羅を盛っているだけ」という居酒屋風の店内をイメージしてみましょう。
また、大阪中古車センターが撤退したとしても管理人・佐竹善国の仕事を世話することやその妻・佐竹ノリコがキマタ製菓のドライバーとして働きつづけられるようにすること、ハゴロモなどで働きながら大学を卒業した神田三郎のために会計士の仕事を見つけてやることなども「大将」としての責任と考えていました。
木俣の高級菓子への夢
河内モーターから大阪中古車センターに移動すると、そこにはキマタ製菓の木俣敬二が待っていました。熊吾は最近の「チョコクラッカー」の売り上げについて尋ねます。
木俣「横這いというよりも右肩下がりというほうが正しいです。そやけど固定の量は確実に出てますから・・・・・・あと五年は食えますなあ・・・・・・」
熊吾「五年か。えらくまた恬淡としちょるのお」
木俣「・・・・・・そこで相談です。思いも寄らんほどに儲けさせてもらいましたんで、見果てぬ夢やったもんを実現してみようかという気になりまして」
木俣の夢とは以下のようなものでした。
「私は小さなお店を持って、そこで本物のチョコレートだけを売ってみたい。最高級のカカオとカカオバターを仕入れて、そこにグラニュー糖を入れて、大理石の台の上で練る。・・・・・・一箱に直径三センチのナッツチョコレートが十個入っていて三千円くらい。世界で最高のチョコレート菓子だ。」
熊吾「うーん、一箱十個入りで三千円か。いま梅田の喫茶店でコーヒー一杯百円じゃ。・・・・・・売れんと考えるのが自然じゃろうのお。・・・・・・」
木俣「松坂の大将なら、やってみいと言うてくれはるかと思てました」
落ち込む木俣に対し、本物のチョコレートというのを味見させてくれといいます。上に引用させていただいたのは1919年創業でベルギー王室御用達の称号を授与されている「マダム・ド・リュック」のチョコレートの写真です。
木俣のベルギー風チョコを試食した熊吾は以下のような感想を述べます。
「なるほど。わしらがこれまで食べてきたチョコレートとはまったく別物じゃ。別次元の菓子じゃ。値段も別次元になるのは当たり前じゃのお・・・・・・」
仕事の後の楽しみ
熊吾は夕方、大阪中古車センターで迎えの車を待っていました。
すると
「これできょうの仕事を終えて帰ると決めた熊吾が、ウィスキーの水割りを作って、一杯か二杯飲むことを知っている佐竹は、ジョニーウォーカーの黒ラベルを買ってきた」とのこと。
佐竹「お酒は机の抽斗のいちばん下に入れてあります。コップもです」
熊吾に恩義を感じているため「自分たち夫婦からなのでお金は要らない」ともいいます。
上には昭和40年頃には1万円ほどで販売されていた「英国製の高価なウィスキー」ジョニ黒の写真を引用させていただきました。
熊吾「せっかくのご好意じゃ。遠慮なしに頂戴するぞ」
といって味わう姿を想像してみましょう。
房江との会話
熊吾はモータープールで久しぶりに房江と会話をします。最初は浪人時代に伸仁がストリップ劇場でアルバイトをしていたことなどの愚痴でしたが、途中から多幸クラブでの出来事を語り始めました。
例えば
「年に一度秋に社員たちの慰安旅行がある。・・・・・・去年は和歌山の勝浦温泉だった。洞窟のなかに温泉があり、そこからはのぼってくる朝日を見ることができた。温泉につかりながら朝日を見たのは初めてだ」
とのこと。
出典:ホテル浦島公式FACEBOOK
https://www.facebook.com/hotelurashima?locale=pt_BR
上には勝浦温泉の洞窟風呂の例として、那智勝浦町にあるホテル浦島の忘帰洞の写真を引用させていただきました。ここでは中央部にいる男性(?)を房江さんに見立てて、景色に見入るシーンをイメージしてみます。
また、房江はこうも言いました。
「仕事は忙しいし、火を使う社員食堂での仕事は冷房があるとはいえ汗だくになる。厨房は朝から夕方まで戦場のようなものだ。・・・・・・決められた予算内で栄養が偏らないように若い社員たちの喜ぶ献立を組み立てるのは難しいので、ほとんど毎日、頭はそのことしかない。でも私は自分の仕事を楽しんでいる。・・・・・・働き甲斐のある職場で得意の料理の腕を発揮しているので安心してくれ。」
その言葉を聞いて、熊吾は以下のような感想を抱きます。
「もう松坂熊吾は無用の人間どころか、いないほうがいいのだと突き放すような響きが感じられた」
福島西通り周辺は大渋滞
房江と話したあと、神田の運転する車でハゴロモに送ってもらおうとします。ところが
「福島西通りの交差点を北に行きかけたが、国鉄が高架になっても相変わらず『あかずの踏切』のまま渋滞している」
とのこと。熊吾は車を降りて、福島西通りから国道二号線を西にいったところにある森井博美の家に向かいました。
出典:国土地理院、福島西通り周辺(1974年~78年)
https://maps.gsi.go.jp/#17/34.694163/135.483878/&base=std&ls=std%7Cort_old10%7Cgazo1&blend=00&disp=111&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1&d=m
上には昭和50年前後の福島西通り交差点(十字マーク)周辺の空中写真を引用させていただきました。道路上には車が連なり大渋滞していることがわかります。
交差点の右下(東南)付近がモータープールのモデルとなっている場所と思われます。また交差点の左上(北西)の角には高校時代に伸仁が通った本屋があり、奥には「銭湯の番台に似た定位置に坐っている主人」がいました。
出典:高岡商工会議所公式サイト、まんが道 ー 文苑堂書店 ー
https://www.ccis-toyama.or.jp/takaoka/map/?post_type=-&p=1048
上には昭和時代の本屋の例として、藤子不二雄両氏が少年時代に通った「文苑堂書店」の写真を引用させていただきました。本屋に立ち寄った熊吾が店主と以下のような会話をしているシーンを想像してみましょう。
店主「このごろノブちゃんはどうしてはりますねん?ちっとも立ち読みに来まへんなあ」
熊吾「・・・・・・息子は大学でテニス部なんてもんに入って、もう小説を読まんようになりました」
店主「あの子は、高校生のときと浪人生のときにおとなでも読まんような本をぎょうさん読みまくったから、大学生になってからはちょっとは運動もせなあきません」
旅行などの情報
マダム・ド・リュック京都祇園店
本物のチョコレートをつくりたいという木俣が夢を語るシーンでは「マダム・ド・リュック」のチョコレートを例にあげました。京都祇園店は2019年に日本に初めて上陸したマダム・ド・リュックの店舗です。ショーケースに並んだ本場ベルギーのチョコレートはデザインも洗練されています。
2階にはカフェも併設され、チョコレートはもちろん、上に引用させていただしたオリジナルのワッフルもおすすめです。コーヒー・紅茶やソフトドリンクのほかビールやワインなどのドリンク類もあるので、街歩きの休憩場所としてもご利用ください。
基本情報
【住所】京都府京都市東山区上弁天町435-1
【アクセス】京阪本線・祇園四条駅から徒歩約11分
【参考URL】https://madamedelluc.jp/our-stores/
天領日田洋酒博物館
仕事終わりに熊吾が楽しんだ昭和のジョニ黒など、レトロな洋酒が気になる方におすすめなのがこちらの博物館です。館長が学生時代から集めたコレクションは3万点以上。国内外の年代物の洋酒のほか、下に引用させていただいたような昭和を感じさせるレトロなグッズが並び、ノスタルジックな雰囲気にひたれそうです。
夜にはバーとして営業するので、コレクションを眺めながらゆったりとした時間を過ごしてみてはいかがでしょうか。
基本情報
【住所】大分県日田市本庄町3-4
【アクセス】日田駅から徒歩7分
【参考URL】https://tenryo-hita-whiskymuseum.com/
南紀勝浦温泉 ホテル浦島
房江の勤める多幸クラブの慰安旅行先として登場してもらった洞窟温泉のあるホテルです。「忘帰洞」の名前は紀州藩のお殿様も帰るのを忘れるほどくつろいだというエピソードをもとにしているとのこと。下には公式インスタグラムから近年の洞窟温泉の写真を引用させていただきました。
桟橋からホテルまではカメの姿をした無料送迎船が運行し、旅の気分を上げてくれます。泉質は硫黄泉で「忘帰洞」のほかにも「玄武洞」という別の洞窟風呂など複数のお風呂があります。記念品がもらえる湯めぐり記念スタンプラリーも実施しているのでチャレンジしてみてください。
基本情報
【住所】和歌山県東牟婁郡那智勝浦町勝浦1165-2
【アクセス】JR紀伊勝浦駅から桟橋まで徒歩約6分
【参考URL】http://www.hotelurashima.co.jp/