太宰治「人間失格」の風景(その3)
第二の手記(後半)
葉蔵は中学の「五年に進級せず、四年修了のままで、東京の高等学校に受験して合格」。東京では堀木という画学生と出会い、行動をともにするなかで都会生活にも慣れていきました。さらに、銀座のカフェで会った女性に「生れてこの時はじめて、われから積極的に、微弱ながら恋の心の動くのを自覚」しますが・・・・・・。
東京での生活を開始
「お化けの絵(人間失格の風景その2・参照)」に感銘を受け「美術学校にはいりたかった」葉蔵でしたが父の意向には逆らえず、東京の高校に入学します。そのような経緯もあり学校は休み勝ちで「洋画家、安田新太郎氏の画塾に行き、三時間も四時間も、デッサンの練習をしている事もあったのです」という生活でした。
画塾では「ほんものの都会の与太者」堀木正雄と出会います。「東京の下町に生れ、自分より六つ年長者で」、「色が浅黒く端正な顔をしていて、画学生には珍らしく、ちゃんとした脊広を着て、ネクタイの好みも地味で、そうして頭髪もポマードをつけてまん中からぺったりとわけていました」。そして堀木も「この世の人間の営みから完全に遊離してしまって、戸迷いしている点に於いてだけは、たしかに同類なのでした」とあります。
下に引用させていただいたのは堀木のモデルとされる小説化・井伏鱒二氏の写真です。ここでは「五円、貸してくれないか」と突然声をかけ「よし、飲もう。おれが、お前におごるんだ。よかチゴじゃのう」と誘ってくる堀木をイメージしてみましょう。
出典:国立国会図書館の近代日本人の肖像、井伏鱒二https://www.ndl.go.jp/portrait/datas/6088/
共産主義の会合に参加
「堀木は、また、その見栄坊みえぼうのモダニティから・・・・・・或る日、自分を共産主義の読書会とかいう・・・・・・秘密の研究会に連れて行きました。堀木などという人物にとっては、共産主義の秘密会合も、れいの「東京案内」の一つくらいのものだったのかも知れません。自分は所謂「同志」に紹介せられ、パンフレットを一部買わされ、・・・・・・マルクス経済学の講義を受けました。」とあります。
当時は東京市発行のものをはじめとして多くの東京案内本が出版されていたようです。下には「欺されぬ東京案内」というインパクトのある名前の書籍から引用させていただきました。「東京の空気は悪いのですか」という質問に対して、内務省衛生試験所の検査結果を掲載したものです。「バイキン」や「匹」の意味は不明ですが細かなところまで案内していることが分かります。
出典:東京案内社 編『欺されぬ東京案内』,東京案内社,大正11. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/964433 (参照 2023-11-09、一部加工)
https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/964433/1/24
党員のタイプはさまざま
葉蔵は自分たちが共産党活動をしている理由について以下のようにいっています。「思えば、当時は、さまざまの型のマルキシストがいたものです。堀木のように、虚栄のモダニティから、それを自称する者もあり、また自分のように、ただ非合法の匂いが気にいって、そこに坐り込んでいる者もあり、もしもこれらの実体が、マルキシズムの真の信奉者に見破られたら、堀木も自分も、烈火の如く怒られ、卑劣なる裏切者として、たちどころに追い払われた事でしょう」
また、非合法について葉蔵は「非合法。自分には、それが幽かに楽しかったのです。むしろ、居心地がよかったのです。世の中の合法というもののほうが、かえっておそろしく・・・・・・そのからくりが不可解で」という考え方でした。下に引用させていただいたのは高校時代の太宰治の写真です。中学まで坊主頭だった髪の毛も伸びて、大人びた表情になってきました。
出典:ウィキメディア・コモンズ,Osamu_Dazai1928,藤田元太郎(一部加工)https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Osamu_Dazai1928.jpg
堀木が教えてくれたこと(その1)
バイタリティーの豊かな堀木は葉蔵をさまざまな場所に連れていきます。移動するときには「高い円タクは敬遠して、電車、バス、ポンポン蒸気など、それぞれ利用し分けて、最短時間で目的地へ着くという手腕をも示し」
というように心強い仲間でした。
下に引用させていただいたのは墨田川のポンポン蒸気船の写真です。ちなみに、名前の由来は重油を燃料とする焼玉エンジンが「ポンポン」という音を発すること。都内を1円均一で走る円タクに対し「一銭蒸気」とも呼ばれていました。
出典:パブリックドメインR、隅田川一銭蒸気(水上バス), 桑原甲子雄, 1938年, 桑原甲子雄作品展 「東京原景」
https://publicdomainr.net/jcii-photo-salon-library-76-kineo-kuwabara-0003761/
堀木が教えてくれたこと(その2)
堀木は安く飲食する方法についても教えてくれました。「帰る途中には、何々という料亭に立ち寄って朝風呂へはいり、湯豆腐で軽くお酒を飲むのが、安い割に、ぜいたくな気分になれるものだと実地教育をしてくれたり、その他、屋台の牛めし焼とりの安価にして滋養に富むものたる事を説き、酔いの早く発するのは、電気ブランの右に出るものはない」といいます。
下には電気ブラン発祥の店とされる神谷バーの写真を引用させていただきました。こちらは大正10年(1921年)の建設で国の有形指定文化財にもなっています。
出典:Kakidai, CC BY-SA 3.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Kamiya_bar_at_asakusa_tokyo_at_night.JPG
電気ブランの味
また、電気ブランの写真も下に引用させていただきました。神谷バーの公式サイトによると「カクテルのベースになっているブランデーのブラン。そのほかジン、ワイン、キュラソー、薬草などがブレンドされています」とのこと。
また、当時はアルコール度数が45度と現在より高かったようです。ここでは、2人でこちらのお酒を飲み、電気のような強い刺激を味わっているところをイメージしてみましょう。
出典:Hideto KOBAYASHI from Machida, Tokyo, CC BY-SA 2.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/2.0, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Kamiya_(5091482198).jpg
一人でカフェへ
「どこにいても、おそろしく、かえって大カフエでたくさんの酔客または女給、ボーイたちにもまれ、まぎれ込む事が出来たら、自分のこの絶えず追われているような心も落ちつくのではなかろうか」と葉蔵は勇気を出して「銀座のその大カフエに、ひとりで」入ります。そして担当の「女給」に「十円しか無いんだからね、そのつもりで」といいます。
下に引用させていただいたのは銀座で人気だったカフェ・タイガーの写真です。当時のカフェは現在のバーやスナックも含んでおり、女性従業員を目当てにやってくる客も多くいました。ここでは左側の男性と会話する女性に、葉蔵と「女給」の姿を重ねてみましょう。
出典:『大東京寫眞帖』,[出版者不明],[1930]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/3459985 (参照 2023-11-08、一部加工)
https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/3459985/1/57
ツネ子との出会い
十円しかないという葉蔵に対し「心配要りません」と答える「女給」には「どこかに関西の訛なまりがありました」。「そうして、その一言が、奇妙に自分の、震えおののいている心をしずめてくれました。・・・・・・自分の地金の無口で陰惨なところを隠さず見せて、黙ってお酒を飲みました」というようにその女性に対しては自然体でいられるのを感じます。
下に引用させていただいたのは、その「女給」・「ツネ子」のモデルとなった田部あつみさんの写真です。ここでは「うちも飲もう」といって隣に座ったツネ子と、久しぶりにリラックスした気分で過ごす葉蔵の姿をイメージしてみます。
出典:http://vmugiv.exblog.jp/20712572/, Public domain, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Shimeko_Tanabe,_before_1930.jpg
「第二の手記」の最後の風景は昭和初期の神田です。ツネ子と一旦距離を置いた葉蔵が、堀木とともに、日の暮れた「神田の屋台で安酒」を飲みます。葉蔵はこの後大きな事件をひき起こすことになりますが・・・・・・。詳細は「人間失格」の本文でお楽しみください。
出典:『明治・大正・昭和 東京写真大集成』149ページ, Public domain, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Lily_Bell_Street_in_Kanda_Jinbocho_1931.jpg
旅行などの情報
神谷バー
葉蔵が堀木に連れていってもらった電気ブランのお店です。明治13年に創業し日本で初めてのバーとされています。6階建てのビルの1階がバーになっていて、2階がレストラン、3階が割烹。どちらでも電気ブランをオーダーすることができます。
また、雷門通りに面して売店もあるので、お急ぎの場合は下に引用させていただいたような電気ブランのボトルをお土産にしてみてはいかがでしょうか。
基本情報
住所:東京都台東区浅草1-1-1
アクセス:東京メトロ銀座線・浅草駅から徒歩約1分
関連URL:http://www.kamiya-bar.com/
太宰治まなびの家
「人間失格」での主人公・葉蔵は東京の高校に進学することになっていますが、作者である太宰治が通ったのは青森の官立弘前高等学校でした。高校へ通学するため親戚筋の藤田家に3年間下宿しますが、その建物を保存したものが「太宰治まなびの家」です。
太宰のふるさと 太宰ミュージアムによれば、太宰は高校時代、マルキストが主幹の新聞雑誌部の委員となったり、青森で芸者と逢う瀬を重ねたり、学期試験の前日に下宿先でカルモチン自殺をはかったりとさまざまな体験をしました。下に引用させていただいたように、部屋からは太宰が青春の日に見たのと同様の景色を見ることができます。
基本情報
住所:青森県弘前市大字御幸町9-35
アクセス:JR弘前駅から徒歩約20分
関連URL:https://dazaiosamumanabinoie.amebaownd.com/