内田百閒「第三阿房列車」の風景(その5)
時雨の清見潟・興津阿房列車
松江阿房列車(第三阿房列車の風景その4・参照)から数週間後の昭和29年11月末、静岡の興津に1泊の短い列車旅に出ました。長崎阿房列車(第三阿房列車その1・参照)でも利用した急行雲仙で清水駅まで行き、車で観光をしながら興津に引き返します。定宿で鉄道関係の人たちとお酒を酌み交わした先生は、伊藤博文公のように普通車停車駅に帰りの急行を停車させて欲しい、と冗談をいいますが・・・・・・。
矢張り阿房列車
今回は興津に鉄道関係の人が待っている、つまり用事がある、という阿房列車らしくないケースです。「しかしながらヒマラヤ山系君が乗って居り、そうして私が乗っている。走り出す前の車窓の外には、見送りに来た見送亭氏が起っている。・・・・・・動き出した汽車に揺られる乗り心地は矢張り阿房列車である」とのことです。
急行「雲仙」は品川や横浜、大船、小田原、熱海、沼津、富士と小刻みに停車。このことを先生は「全く愛想のいい急行で、頻りに左顧右眄(さこうべん)する」と表現しました。暖房の効きすぎた列車内でアイスクリームを食べていると「左顧右眄急行が清水駅に停車」します。
下には昭和9年に清水駅と改称された江尻駅の写真を引用させていただきました。ここでは、左側に駐車している車を鉄道管理局の車と見立て、先生一行が乗り込む姿をイメージしてみましょう。
「三保の松原」の表裏
鉄道管理局の車で興津に向かいますが、途中で「三保の松原」に立ち寄ることになりました。
先生は以前、「由比の山ぞいの宿屋」に宿泊したときの「当時の由比の駅長さん」との(恐らく宴会での)会話を思い出します。
先生「勾欄から何度も三保の松原を眺めたが、蛾媚(がび)かげじげじ眉か、いずれにしても清見潟の水波を隔てた風光は見飽きがしない」
由比の駅長「しかし三保ノ松原の景色は向う側から見たのがいいので、ここから眺めるのは裏側です」
下には由比と興津の間の一般道から三保の松原方面を見たストリートビューを引用しました。右奥の海岸線にうっすらと伸びているのが三保の松原のある三保半島で、手前には埋め立てられた旧清見潟(コンクリートの埠頭など)が見えています。ちなみに、三保の松原といったら欠かせない富士山は撮影方向の真逆にあり、このことを駅長は「裏側」といったと思われます。
三保の松原観光
三保の松原を観光した先生は「灰色の砂の中から老松が兀立(ごつりつ)して一面の松原を成している。遠くの沖から眺めたら後ろの富士山を点景にして、いい景色だろうと思うけれど、松の大枝の下陰を歩くだけでは、足許の砂がざくざくと崩れるばかりでちっともよくない」と感想を述べています。
下には先生が旅をした頃に描かれた三保の松原の風景を引用させていただきました。先生はこの絵の左側の松林を散策して引き返してしまったのかもしれません。
水口屋に宿泊
先生がこのシリーズの中で宿の名前を明記しているのは熊本の松浜軒と興津の水口屋(みなぐちや)のみです。水口屋は「第一阿房列車(・・・風景その2・参照)」でも宿泊している先生お気に入りのスポットでした。
ところが「自動車が水口屋の門を這入ったが、改装した構えが面目を変えていて、何度か来て見おぼえた面影はない」といいます。下に引用させていただいた写真は大正時代の姿とのことです。
一方、以下には昭和32年、静岡国体の際に昭和天皇がお泊りになった時の水口屋の姿を引用させていただきました。確かに右下の写真のように入口の屋根の構えが近代的になっていますね。
ここでは玄関の前に「馴染みになった模様が変わっているのも好きでない。丸で知らない所へ来た様である」とご機嫌斜めな先生の姿を置いてみましょう。
ごうぎなものです
水口屋で鉄道関係の人たちとともにお酒を飲んでいい気分になった先生は、周辺に邸宅を持っていた西園寺公望公(きんもちこう)や伊藤博文公のエピソードを紹介します。駅の高い陸橋を渡るのが嫌だった西園寺公は線路を渡る急ごしらえの橋をつくらせ、伊藤公は本来停車しない大磯駅(自宅のある)に急行列車を臨時で停車させたとのことです。
ここでは下に引用させていただいた大磯駅(大磯停車場)の写真のなかに、在りし日の伊藤公の姿を置いてみましょう。「非難もあった様だが、しかし、ごうぎなもんじゃありませんか。僕もそうしたい」といい、さらに「明日のこの興津に上りの急行列車を停める様に、そう云っといて下さいませんか」と続けました。
もちろん、鉄道関係のお偉さんと言えども「皆さんは引き受けてくれない」とあります。
伊藤公がここにいるよ!
次の日は急行の止まらない興津駅から静岡駅まで少し遠回りをして急行「きりしま」に乗り込み、東京に帰る予定でした。 ところが水口屋に宿泊した夜半から雨・風が強くなり、翌日には鉄道信号機が故障、電話もつながりにくい状態が続きます。急行も含めて電車が各駅停車になり先生は興津から「きりしま」に乗れることに!
興津駅には「おいおい、山系さん、伊藤公がここにいるよ・・・これは類稀なる英雄的行為だ」と得意げに乗り込む先生の姿がありました。下に引用させていただいたのは先生より少し後の時代(昭和36年)の急行「きりしま」の写真です。こちらの列車の中に満足そうに座る先生をイメージしてみましょう。
由比で一献開始
雨・風のため電車はなかなか先に進まず、しびれを切らした先生は由比駅に停車中に山系君とともにお酒を始めました。ちなみに由比駅は百閒先生のお気に入りの駅だったようで「裏道の旧街道には、軒毎に目白を飼っている。そうして道ばたには猫が沢山いる」など駅や駅周辺での思い出の風景を描写し、懐かしんでいます。
下に引用させていただいたのは現在の由比駅周辺を走る旧東海道のストリートビューです。道沿いには昭和初期の時計付き掲示板や歴史のある建物が残り、百閒先生の姿を置いてもあまり違和感がありません。先生の頃のように猫がいるかどうかは、道を進ませて確認してみてください。
旅行の情報
三保の松原
三保の松原は百閒先生が清水駅から興津の水口屋に行く途中に観光に立ち寄ったところです。約7kmの海岸に約3万本の松並木を保有する景勝地で、松の緑と手前にある海の青色、季節ごとに色や姿を変える富士山が美しい風景を構成しています。
先生は絶景ポイントまで行かずに戻ってしまったようですが、下のような景色を見ていたとしたら「第三阿房列車」での表現は違っていたかもしれません。
出典:Suicasmo, CC BY-SA 4.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Mount_Fuji_and_Miho_no_Matsubara_20170211-5.jpg
基本情報
【住所】静岡県静岡市清水区三保
【アクセス】東名高速清水ICから約25分
【参考URL】
滄浪閣(そうろうかく)
旧伊藤博文邸の旧滄浪閣は大磯駅から徒歩で15分ほどの海岸沿いにあります。旧滄浪閣を含めた一帯は「明治記念大磯邸園」となっていて、現在は旧大隈重信別邸・旧古河別邸と陸奥宗光別邸跡・旧古河別邸の庭園のみが公開されています。下には観光できる建物や庭園の写真を引用させていだきました。
滄浪閣などの建物内部の公開はもう少し待つ必要がありますが、明治の元勲たちの旧邸宅が立ち並ぶ歴史を感じられるエリアです。順次整備中とのことですので公式サイトの最新情報を確認の上、お出かけください。
基本情報
【住所】神奈川県中郡大磯町東小磯295
【アクセス】大磯駅から徒歩で約15分
【参考サイト】https://www.meijikinen-oiso.jp/