内田百閒「贋作吾輩は猫である」の風景(その3)
教え子たちが集合
今回は、ドイツ語教師だった五沙弥先生の古い教え子たち3人が集まり、当時の思い出を語りながら歌ったり詩を暗唱したりしているにぎやかなストーリーです。途中から若い教え子も加わり更に賑やかになっていきます。今回は小説に出てくる当時の歌やドイツ語の歌などを想像しながら話を追っていきましょう。
「けんげん、こおり」について
「贋作猫」の第三は、突然「けんげん、ごおり。けんげん、こおり」から始まります。正確には「易経」の冒頭文の「乾元亨利貞(けんげんこうりてい)」で、乾の卦についての解説する文ですが、当時は魔除けの呪文にもなっていました。「贋作猫」でも話を転じる時などに使われています。
「ああ懐かしき青春の輝き」
「三人の内、出田君だけは頭の外観に異常がないが、疎影堂君は横斜する名残もない禿で、もう一人の蒙西君は半禿の半白髪の分別臭い顔をしている」とあり、「みんな五十に手の届く年ごろ」です。ちなみに「蒙西は百貨店の支配人で、出田は文部省のえらい役人で、疎影堂は蒲鉾会社の重役」と皆さん立派な身分がありますが、先生の前では大学生の頃と同じ様な無邪気な姿を見せています。
下に引用させていただいたのは邦題「ああ懐かしき青春の輝き」というドイツ語の歌です。ここでは疎影堂が「オウ・アルテ・プルシェンヘルリヒカイト(あの少年の春は)」と声を張り上げて歌う姿をイメージしてみます。
学生時代の回想・出田羅名
話は学生時分のドイツ語劇のことになり五沙弥先生は「出田のファウストは珍怪の極みだったね。ガウンの様な物を著(き)てさ、頻りに袖ばかり振って、領巾(ひれ)振る山のファウストみたいだったぜ。いやに長い顔をしてさ」といいます。
下に引用させていたいただいたのは「長い顔」ということで先生が持ち出してきた成島柳北(なるしまりゅうほく)の写真です。明治初期に「朝野新聞」を立ち上げ、ジャーナリストとして活躍、漢詩人としても有名でした。ここで先生は「世はさかさまに成りにけり」「乗りたる人より馬は丸顔」という当時の狂歌を引用します。
出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」成島柳北
https://www.ndl.go.jp/portrait/datas/308
学生時代の回想・蒙西
先生は「蒙西を連れて京都に行ったんだよ・・・・・・朝東京を立って、晩飯前の明るい内に京都駅へ著(つ)いたんだが、出かける前に奴綺麗に顔を剃って来て、僕の前に澄ましていたが・・・・・・降りる前に気がついたんだが、もう頤が亀の子束子の様にざらざらして・・・」と過去のエピソードを語ります。ちなみに、阿房列車1(鹿児島阿房列車)では百閒先生のお供・ヒマラヤ山系(教え子の平山三郎氏がモデル)が、伸び放題の髪の毛やひげを先生に指摘されています。
下には大正3年~昭和25年まで活躍した二代目京都駅舎の写真を引用させていただきました。こちらで若き日の五沙弥先生に従って学生の蒙西君が歩く姿を置いてみましょう。
*ちなみにインターネットなどの情報によると、「贋作吾輩は猫である」での平山三郎氏がモデルとなっているのは蒙西君ではなくて、次回以降に登場する「飛騨里風呂(ひだりぶろ)」君とのことです。
出典:See page for author, Public domain, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Kyoto_Station_in_1930s.JPG
若い教え子も参入
「お神さんが取り次ぐ暇もなく又新顔が入ってきた。同じく五沙弥入道の旧学生佐原満照君である」。ちなみに「佐原君は先客の三人よりは遥かに後輩で、まだ一人前のおやじではない」とあります。蒙西や出田羅迷などと比べると普通の名前ですが、皆からは名前をもじって(?)「サラマンダア」というあだ名で呼ばれていました。
皆が集まったところで「更めてプロウジット(ドイツ語でおめでとう、乾杯の時にとなえる言葉)だ」と出田羅迷。下には映画「まあだだよ」の名場面を引用させていただきました。ここでは右下のように教え子たちと乾杯をしている先生の姿をイメージしてみましょう。
かんかんのう
先生がファウストの「鼠の歌」を披露すると皆が合唱をはじめ、家の中がやかましくなりました。お勝手からお神さんが出て来て「ちょいと、もういい加減におよしなさいよ。いつ迄も、かんかんのう見たいな歌を歌ってさ」とたしなめます。
「おれは、かんかんのうを知っているぜ・・・・・・先生、踊ってみましょうか」と得意気な疎影堂。先生に止められて「それじゃ、歌だけ」といって「かんかんのう きゅうれんす きゅうはきゅうれんす・・・」とやりはじめます。
「かんかんのう」とは江戸時代に中国から伝わった「九連環」をもとに民間に広がった踊りとのこと、下に引用させていただいたのは踊りの一場面を説明する図です。ここでは、このような踊りを思い浮かべながら陽気に歌う疎影堂の姿を想像してみます。
出典:Ikeda, Eisen, 1790-1848, artist, Public domain, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Kankan_odori_no_uta_LCCN2008660934.jpg
旅行などの情報
長命寺(墨田区)
1615年頃に創建された天台宗の古刹です。上で紹介した成島柳北は墨田区ゆかりの人物で、長命寺には下に引用させていただいたような肖像レリーフや記念碑が建てられています。ほかにも十返舎一九の狂歌碑や松尾芭蕉句碑など見どころが豊富です。
また、隅田川沿いの堤は桜の名所として知られていて、近くにある「長命寺桜もち」の桜餅は美味しいことで有名です。花見を兼ねて散策を楽しんでみてはいかがでしょうか。
基本情報
住所:東京都墨田区向島5-4-4
アクセス:東武伊勢崎線・曳舟駅から徒歩約10分
参考URL:https://visit-sumida.jp/spot/6016/
東京ゲーテ記念館
「贋作吾輩は猫である」ではゲーテの長編小説・ファウストに関連する記述が多くあります。ゲーテのことが気になったら東京ゲーテ記念館を訪問してみてはいかがでしょうか。以下引用のように、こちらは誰でも利用できる無料のスポットです。但し、文献を閲覧するには予約が必要となることに注意しましょう。
利用者は専門家にかぎりません。基本原典のほか、明治・大正・昭和期の初訳本、研究書、雑誌、新聞切抜きなどを収蔵しています
出典:東京ゲーテ記念館公式サイト
また、記念館の前の歩道は下に引用させていただいたような「ゲーテの小径」として整備され、ゲーテの歌や年譜を見ながらの散策も楽しめます。
基本情報
住所:東京都北区西ヶ原2−30−1
アクセス:東京メトロ南北線・西ヶ原駅から徒歩約4分
参考URL:https://goethe.jp/