内田百閒「第一阿房列車」の風景(その4)
鹿児島阿房列車(後章)
前回(「第一阿房列車」の風景その3)に続いて鹿児島阿房列車の後半です。先生一行は鹿児島に宿泊し酒盛りを堪能し、次の日は西南戦争の史跡や城山などに案内されます。次に肥薩線で熊本の八代まで行き、阿房列車の定宿となる松浜軒に宿泊しました。宿の人とのふれあいや観光地の写真などを交えながら物語の風景を追っていきましょう。
おむすびで腹ごしらえ
鹿児島に到着した先生一行は「城山の山腹にあって・・・・・・陛下のお宿になった」という高級旅館に向かいます。実際に先生たちが宿泊したのは「岩崎谷荘」というホテルで、現在の城山トンネル出口(南側)付近にありました。現在は天皇皇后両陛下のご宿泊記念碑のみが残っています。
下には昭和16年発刊の全国旅館名簿に掲載されている岩崎谷荘の写真を引用させていただきました。ここでは写真の左側の縁側に百閒先生を、右側に桜島を置き、「見晴らしのいい座敷で、眼下に青い帯の様な海を隔てて桜島を眺める」シーンを想像してみます。
出典:旅館研究会 調査・編纂『全国旅館名簿』,旅館研究会,昭和16. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1033104 (参照 2023-11-20、一部加工)
https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/1033104/1/461
番頭は四代目小さん
旅館に入ると「四代目小さん生写しの番頭が、玄関先に出迎えた」とあります。下に引用させていただいたのはその四代目小さん氏(1888年~1947年)の写真です。百閒先生とはほぼ同い年ですが、鹿児島阿房列車のときにはすでに故人になっていました。
四代目小さん氏(番頭)が二階の部屋から一階の「陛下の御座所」へアップグレードすることを勧める場面も印象的です。
「あなた様はこちらへお休みになりまして、おつれ様はこちらにまだお座敷が御座いますから・・・・・・」と小さん氏。
「おつれ様が八十人ぐらい寝られるだろう」
といっているように広すぎて落ち着かないため、先生は「二階で結構です」と断りました。
出典:五代目柳家小さん『咄も剣も自然体』東京新聞出版局、1994年、p.37, Public domain, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Kosan_Yanagiya_IV_Scan10002.JPG
次の日、先生は昼すぎまでゆっくりと寝すごします。
「もうお午は過ぎて、大分遅い。女中が着て、お午の御飯をなぜ食べないかと云う。朝も召し上がらず、お午も召し上がらず、それではいけないでしょうと心配してくれる。」
とのこと。
「何しろ食べる手続きが面倒臭い。茶碗を持って、お代わりをして。その順序を省略する為に、お結びにしようう。しかし猿蟹(さるかに)合戦の握り飯の様な大きいものはいけない。成る可く小さく結んで、足りなければ数を食べるから、小さい程いい。」
と所望します。女中さんが準備してくれたのは鼓(つづみ)の形をした「大変食べいい」おにぎりでした。
上には広島で人気の「むさし」の俵むすびの写真を引用させていただきます。ここでは、こちらようなおにぎりを美味しそうにほおばる先生や山系君をイメージしてみましょう。
西南戦争の跡
腹ごしらえできた先生たちは山系君が手配した国鉄職員に周辺の観光地に案内してもらいます。「私学校跡」もその一つで、下の写真のように明治10年の西南戦争でできた弾痕跡が今でも残るところです。
先生は「遠い気持ちがするけれど、歳月がその痕を苔で塗り潰すのをほっておけばいい」とひとりごとをもらします。そのあとで広島で見た原爆ドームなどの景色にも言及しますが、大戦での生々しい傷跡も時間とともに消えていくだろうと自分に言い聞かせていたのかもしれません。
出典:Doricono, CC BY-SA 3.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Wall_of_Shigakko_School.JPG
桜島の景色
次に案内されたのは城山の展望台です。同行した鉄道管理局の人の子供のころにあった大正3年の大噴火のエピソードを聞く場面があります。「大きな火の柱が真赤に燃え立って天に届くかと思った」とのこと。
先生が観光した日は雨が降っていましたが「大きな梢があるので濡れることはない」とか「向こうの大きな海は明るい」などの表現があります。下には先生たちと同じく城山展望台から見た桜島の写真を引用させていただきました。
出典:Jody McIntyre, CC BY-SA 2.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/2.0, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:View_of_Sakurajima_from_Shiroyama_Park_Observatory_-_Jan_27,_2010.jpg
行商の魚屋さん
鹿児島を後にした一行は鹿児島駅から肥薩線に乗り込みました。先生たちの車両の中は魚の行商人ばかりで、生臭いにおいが漂います。それは「商売柄止むを得ないけれど」前に座った行商人が居眠りを始め先生に膝を押し付けてくるのには閉口しました。
トラックなどの輸送手段がまだ発達していなかった当時は電車で行商する人が多く、下に引用させていただいたように「行商列車」という呼び方もあったとのことです。ここでは、こちらの車両の中で窮屈そうに坐る先生の姿を想像してみます。
八代で宿泊
スイッチバックやループ橋、鉄橋からの綺麗な川などの景色を楽しんだ先生一行は八代に到着。こちらの宿も昭和天皇が滞在された立派な旅館でした。建物や庭園は今でも「松浜軒」として残されていて観光を楽しむことができます。
なお、下に引用させていただいたように先生が「池の食用蛙に魘(うなさ)れながら寝た」と記した池は今なお健在です。昭和26年の夏の暑い夜に、先生一行は八代名物の蚊を払ってくれる女中たちと取り留めのない話をしながらお酒を楽しんでいました。
出典:STA3816, CC BY-SA 4.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Shohinken_01.jpg
おはぐろトンボと赤トンボ
次の日起きてみると食用蛙の声は聞こえず、代わりに黒い「おはぐろトンボ」がハスの花の上にいます。そこに速力のある「赤トンボ」がやってきて喧嘩するシーンが描かれてます。「赤トンボ」とは戦時中の日本軍の練習機で特攻にも使われた「九五式中間練習機」などの通称でもありました(写真を下に引用させていただきます)。
そのとき先生は戦時中の景色を思い浮かべていたと考えるのは少し穿ち過ぎでしょうか。
出典:撮影者不明, Public domain, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Ki-9_95siki_1gata.jpg
昼過ぎに八代駅から急行に乗った先生一行は早速一杯やりながら帰途につきます。熟睡して米原についたのは朝も10時過ぎでした。夕方に無事東京に到着しますが、豪華や旅館に宿泊してきたため自宅の部屋が狭く感じられたという感想で結ばれています。
旅行の情報
私学校跡
鹿児島に滞在中に案内してもらった場所の一つで 、征韓論に破れて鹿児島に戻った西郷隆盛が、士族たちのために作った私塾です。不平士族の暴発を抑えるための施設でしたが、皮肉なことにその生徒たちによる陸軍弾薬庫の襲撃が西南戦争のきっかけになりました。
政府軍が打った弾痕跡は先生の描いた当時よりは小さくなったかもしれませんが、今でもはっきり残っています。
基本情報
【住所】鹿児島県鹿児島市城山町
【アクセス】鹿児島駅から徒歩で約10分
【参考URL】https://www.kagoshima-kankou.com/guide/12353
城山展望所
こちらも鹿児島滞在中の観光で訪れた桜島のビューポイントとして有名なスポットです。先生の訪問した時は雨模様でしたが、晴れている時は下に引用させていただいたような絶景を見ることができます。
もともとは南北朝時代にこの地方の豪族上山氏が居城とした場所で西南戦争では激戦地となりました。近くには西郷隆盛が隠れた洞窟や終焉の地などが点在していますので、併せて巡ってみてください。
基本情報
【住所】鹿児島県鹿児島市城山町
【アクセス】鹿児島中央駅からバスに乗り換え城山で下車
【参考URL】http://www.kagoshima-yokanavi.jp/data?page-id=2497
むすびむさし(新幹線店)
鹿児島の昼ごはんの風景に登場してもらった広島名物「むさし」のお結びです。下に引用させていただいたように俵型の形は食べやすく、マツダスタジアムでも野球観戦のお供としても人気があります。
醤油の香りがするご飯はおかかや梅、しば漬などの具材との相性も抜群です。お弁当の種類は豊富にあるので詳細は公式サイトをご覧ください。
基本情報
【住所】広島市南区松原町1185
【アクセス】JR広島駅すぐ
【参考URL】http://www.musubi-musashi.co.jp/
松浜軒
百閒先生たちが八代での宿泊に使ったスポットです。江戸時代に熊本藩の家老の邸宅だったところで、当時は旅館を営業していました。
今は建物には立ち入れませんが庭園は有料で公開していて、先生が見たようなハスや菖蒲の名所となっています。食用蛙については現在の情報は不明ですので各自でお確かめいただければと思います。
基本情報
【住所】熊本県八代市北の丸町3-15
【アクセス】JR八代駅からバスに乗り換え、市博物館前で下車
【参考URL】http://www.city.yatsushiro.lg.jp/kankou/kiji003124/
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