2020年3月26日 / 最終更新日時 : 2024年11月30日 haekon 空海の風景 司馬遼太郎「空海の風景」の風景(その12最終回) 兜率天へ 空海の書は変幻自在で実体がつかめないとのこと。真蹟を参照しながら「空海の風景」を追っていきましょう。空海は仏教の呪術部門に過ぎなかった密教を体系化し「真言宗」を開創します。修禅の道場として高野山を開き、官寺の東 […]
2020年3月24日 / 最終更新日時 : 2024年11月27日 haekon 空海の風景 司馬遼太郎「空海の風景」の風景(その11) 最澄との交流と決裂 空海の住む乙訓寺を最澄が訪れ、密教についての教えを乞います。空海が高雄山寺に移ると、最澄も山内に滞在し灌頂も受けますが、文字のみで密教を理解しようとする最澄の態度に空海は不満を募らせていきました。そし […]
2020年3月12日 / 最終更新日時 : 2024年11月21日 haekon 空海の風景 司馬遼太郎「空海の風景」の風景(その10) 不空に倣う 京に上れとの勅令が下り、空海は高雄山寺に移りました。また、唐で「五筆和尚」と呼ばれた空海のもとに嵯峨天皇から揮毫の依頼があり、その後、二人との親交が生まれます。「薬子の変」で世情が不安定になると、空海は恵果の […]
2020年3月9日 / 最終更新日時 : 2024年11月18日 haekon 空海の風景 司馬遼太郎「空海の風景」の風景(その9) 正統な密教の伝法者は? 最澄が密教を持ち帰ったことを喜んだ桓武天皇は彼に日本初の灌頂を行わせます。この時点で最澄は密教の第一人者になりました。ところが、帰国した空海が「御請来目録」を提出すると、朝廷は二人の密教の内容を調 […]
2020年3月6日 / 最終更新日時 : 2024年11月25日 haekon 空海の風景 司馬遼太郎「空海の風景」の風景(その8) 真言密教の正嫡に即位 空海はサンスクリット語などを学ぶかたわら、多くの文人たちとも交流を持ち、評判を高めていきます。そして、密教の第一人者である恵果和尚のもとを訪れると、恵果は一目で空海の能力を悟り、法統を譲ると宣言しま […]
2020年2月28日 / 最終更新日時 : 2024年11月9日 haekon 空海の風景 司馬遼太郎「空海の風景」の風景(その7) 唐の旅 那ノ津で準備を整えた遣唐使船(空海の風景の風景その6・参照)は7月に唐に向けて出港しますが、天候などの影響により、はるか南方に漂着しました。このとき空海が書いた名文は漂着地周辺を管轄する福州長官に感銘を与え、遣唐 […]
2020年2月20日 / 最終更新日時 : 2024年11月15日 haekon 空海の風景 司馬遼太郎「空海の風景」の風景(その6) 遣唐使船に 渡唐を決意した空海でしたが(空海の風景の風景その4・参照)、天皇の待僧のポストを与えられていた最澄(空海の風景の風景その5・参照)と違い、遣唐使船に乗るための売りこみに奔走します。なんとか留学生として入唐する […]
2020年2月19日 / 最終更新日時 : 2024年11月1日 haekon 空海の風景 司馬遼太郎「空海の風景」の風景(その5) 最澄も渡唐を目指す 二十歳の若さで官僧となった最澄ですが、当時の仏教に疑問を感じ、比叡山にこもりました(空海の風景の風景その4・参照)。一方、比叡山を都の鬼門として重要視した官僚たちは、最澄の私寺を官寺に指定し、彼を天皇 […]
2020年2月14日 / 最終更新日時 : 2024年10月28日 haekon 空海の風景 司馬遼太郎「空海の風景」の風景(その4) 空海、入唐を決意 空海は四国などでの修行(空海の風景の風景その3・参照)を行うとともに、奈良・大安寺の勤操大徳を師として学問に励みます。奈良仏教には6つの宗派があり、空海が特に共感したのは「華厳経」でした。そしてその発展 […]
2020年2月12日 / 最終更新日時 : 2024年10月25日 haekon 空海の風景 司馬遼太郎「空海の風景」の風景(その3) 四国での修行 前回(空海の風景の風景その2・参照)、一沙門から「虚空蔵求聞持法」を授かった空海は近畿一帯で修行をしますが思うような結果を得られません。そこで彼が次の行場として選んだのは故郷の四国でした。空海は大滝嶽・室戸 […]