内田百閒「第二阿房列車」の風景(その2)
雪解横手阿房列車
今回は「新潟から帰って来て、間を三日置いて、四日目に又奥羽の横手へ出かけた」という少し忙しい旅です。「雪が解けない内に行って見たいと思った」とのこと。昭和28年の2月末から3月頭にかけて、新潟はかまくらや梵天など冬の行事が開催される時期で「岡本新内」という伝統芸能も楽しみました。夜行のため景色はあまり眺められませんが、その分お酒はゆっくりと堪能します。
寝台急行・鳥海
今回利用するのは「夜9時30分上野発の四〇一列車、二三等急行『鳥海』の寝台車」です。上野駅から秋田駅までを東北本線と奥羽本線を経由する夜行列車で寝ている間に「福島米沢間の勾配は電気機関車で越し」と書かれているので最初は蒸気機関車にけん引されていたと思われます。
下には函館本線で運行されていた「C62ニセコ号」の写真を引用させていただきました。「汽笛一声動き出したから、始めた」というように、こちらの客車ですでにお酒を飲み始めている先生たちの姿を最初の風景とします。
出典:Hahifuheho, CC0, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:C62_3_running_toward_Kuchan.JPG
宴会場所を確保
(出発前に話を戻すと)先生たちが乗った二等寝台は2段ベッドのタイプでした。上の段を山系君、下の段を先生が使います。先生は家から持ってきた料理を肴に一杯やる算段をしますが、下段で2人で飲むとすると向かいのベッドや通路の人が気になります。
そこで「寝台車には喫煙室がある筈」と考えた先生は「洗面室の前に二人席の小さな喫煙室」を見つけ出し、ボイに「ここを使って、初めていいかい」と了解を取りました。下に引用させていただいたのは「寝台急行銀河」の立派な喫煙室(4人席)の写真です。奥側の二人席のみをお借りして、燗酒の入った2本の魔法瓶とさまざまなおつまみを持ち込む先生たちの姿を想像してみましょう。
出典:Nkensei, CC BY-SA 3.0 http://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0/, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:A-s-PICT1926.jpg
お酒のお供は
ボイ(ボーイ)の了解を得た先生たちは早速、喫煙室に陣取り宴会を始めます。つまみは家で作ってもらった「鶉(うずら)の卵のゆで玉子、たこの子、独活(うど)とさやえん豆のマヨネーズあえ、鶏団子、玉子焼き」と品数も多く、読んでいるだけでもお腹が空いてきそうです。
下に引用させていただいたのは「ウドとさやえんどうの白和え」の写真です。味付けは少し違いますが、先生たちの食べていたのもこのような美味しそうな食べ物だったのではないでしょうか。
つまみのお品書きはさらに続き「平目のつけ焼きと同じく煮〆(にしめ)等」とあります。焼きと煮物の2種類の平目料理があるのも凝っていますね。ちなみに「餓鬼道肴蔬目録」にも「さはら刺身 生姜醤油、たい刺身、かじき刺身・・・」と始まるように先生はお魚好きだったようです。
下には「平目の煮しめ」をイメージできるお魚料理を引用させていただきます。心地のよい線路の音を聴きながらお酒を飲む先生たちは以下のような曖昧(あいまい)な会話をしていました。
先生「山系君、面白いねえ」
山系「何がです」
先生「汽車が走って行くじゃないか」
山系「そりゃそうです」
先生「だから面白いだろう」
山系「なぜです」
先生「なぜと云う事もないが、矢っ張り走って行くぜ」
行きつけの旅館に宿泊
朝早く横手駅に着いた先生一行は第一阿房列車でも宿泊にした平源旅館へ自動車で移動します。先生は「楣間(びかん)に掲げた木堂の扁額もこの前の儘(まま)で、その他、座敷の隅隅に馴染みが残っているが、この前の時より座敷全体が難となく草臥(くたび)れている」といい、その理由が前回から一年半経っているいるせいか、今回は「朝っぱら寝不足」(前回は夜到着)だからかは不明とのことです。
下には平源旅館の貴重な内部写真を引用させていただきました。特に下側の投稿の右下にある犬養毅元首相(木堂は号)の扁額の写真を見ながら、「奥羽本線阿房列車」を思い出している光景をイメージしてみます。
横手名物の一つ「かまくら」
先生が到着した日は「かまくら」の行事が終了したばかりと旅館の人から聞かされます。「かまくら」とは「雪で造った小さな雪の家で、旧正月十五日の晩に、子供がその中へ這入って水神様のお祭りをする」イベントで「蝋燭の燈をともし、蜜柑や林檎やお菓子を列(なら)べ、甘酒を沸かし、藁のむしろを敷いた上に座って遊ぶ」のだそうです。
下には昭和39年の横手の「かまくら」の写真を引用させていただきました。先生も車で「駅から来る途中、道ばたで幾つも見た」といっています。行事が終了したばかりだったのでこちらのような立派なかまくらが残っていたかもしれません。
もう一つの横手名物は「梵天」
「かまくら」は終了してしまいましたが、もう一つの行事「梵天(ぼんでん)」はちょうど開催されているところでした。「棒の先にいろんな物を飾りつけたのを振り立てて、旧正月の十七日に近郊の神様へ納める」のが梵天の概要です。
旅館の玄関に出た先生は「一升瓶を抱えた男」にお酒をすすめられ、「何と云っていいのか解らないから、兎に角、お目出度うと云って、飲み干して杯を返した」とあります。
下には今も行われている横手市内の「ぼんでん」の写真を引用させていただきました。ここでは「戸口の外に立てた棒を、火消しが纏(まとい)を揉む様に張って、帰って行った」という賑やかな風景と重ねてみましょう。
「岡本新内」に感動
「夕方自動車の迎えを受けて、舞台のある料理屋へ出掛け」、伝統芸能の「岡本新内(おかもとしんない)」を鑑賞することになります。「岡本新内」とは横手市に江戸時代から伝わる舞踊で三味線と唄に合わせて踊るものです。
下には岡本新内の動画を引用させていただきます。「音締(ねじ)めのいい三味線と渋味の勝った唄を聴き、目で美しいまぼろしのような影を追っていると、矢張り恍惚とする」や「踊りの二人の姿が、ありありと鶴の姿に見えたと思って、はっとした」など、郷土芸能に感動する先生の姿がありました。
初めての箱そり体験
踊りを鑑賞したりお酒を飲んだりして楽しく過ごした先生たちは宿まで「箱橇(そり)」で送ってもらいます。下に引用させていただいたのは先生が旅をしていたのと同じく昭和28年のころの「箱そり」の写真です。
「箱の様な物の中にしゃがみ、すぐに動き出したと思ったら、後ろから人が押している」とあります。ここでは先生と山系君のそりが「雪の上を軽々と辷(すべ)っていく」姿をイメージしておきしょう。
山系君が見た山は?
次の日も山系君の鉄道関係の知り合いがやってきて一緒に痛飲し、三日目に「急行鳥海」にのって帰途につくことになります。宿の人から「鳥海山を見るにはこの川のもう一つ下手の橋がいい」とすすめられた先生は駅に行く前に立ち寄ってもらおうとしますが、運転手に「雨の日は見えません」といわれます。「もう一つ下手の橋」とは下マップ上側の「蛇の埼橋」だったでしょうか。
車内にて「いつもならあの橋からよく眺められる。あの橋からでなければ見えない」という運転手に対し「宿のすぐ傍の橋から見たよ・・・上流の遠くにある山だろう」と返しますが、「違います。橋の下流の真正面に見えるのです」と訂正されます。
山系君の見たのが「中の橋」からだったとすると、上流側(南方向)には下のような山が見えます(下はストリートビューの引用)。鳥海山の姿についての「女中」さん(真っ白)と山系君(まだら模様)の不一致の原因は、山系君が違う山を見ていたことにあったようです。
ちなみに蛇の埼橋(左手前)と鳥海山の位置関係は下に引用させていただいたようになっていて、蛇の埼橋は鳥海山のビュースポットの一つになっています。ちなみに先生は鳥海山(出羽富士)の姿を見ることはできませんでしたが、明け方の車窓には別の雄大な雪山が現れました。
旅行などの情報
梵天・かまくら
百閒先生が横手を訪問した時期は旧暦の正月の時期で「梵天」や「かまくら」といったイベントが次々と行われていました。先生の頃は別の日程でしたが、現在は「横手の雪まつり」として2月中旬に同時開催されています。
かまくらは2月15・6日の夜に開催され、梵天はコンクール(2月16日)と旭岡山神社への奉納祭(2月17日)に分けてイベントが行われます。下には奉納祭の様子を引用させていただきました)。雪祭りの日程やスケジュールについては公式サイトで最新情報をご確認ください。
基本情報
【住所】秋田県横手市内各地
【参考サイト】https://www.city.yokote.lg.jp/kanko/1004035/1004591.html(梵天)
https://www.city.yokote.lg.jp/kanko/1004035/1004590.html(かまくら)
旧平源旅館(ゲストハウス平源)
百閒先生が宿泊した旧平源旅館の建物は現在、結婚式場などを行うゲストハウスにリノベーションされています。ただ、レトロな内装が保たれ、裏手には横手川(別名・旭川)が流れる環境が残っているので、当時の様子を想像することができるでしょう。
ランチ(予約不要)やディナー(要予約)で建物に立ち入ることもできるので、百閒先生の時代を重いながら美味しい料理を堪能してみてはいかがでしょうか。
基本情報
【住所】秋田県横手市大町6-24
【アクセス】横手駅から徒歩で約15分
【参考サイト】https://hiragen.iyataka.co.jp/